- はじめに
本稿の目的は第一に,それまで本格的にはまとめられてこなかった「『声優』の歴史」を明らか にすることである。また第二に,「声優」と言っても,その言葉に「 」(鍵括弧)をつけなければならないように,現代においても「定義が曖昧」であるため,「声優という職業の定義」づけも本 稿では試みたいと考える - 「声優」の誕生―声優の定義―
- 日本の声優第一号は誰か
筆者はここで,仮説とも言える,筆者の考える「声優の定義」を提示したい。この要素・条件をすべて満たせば,それは声優と言えるのではないか。その要件は以下のようになる。 - 声優としての一定以上の仕事量があること
- 基本的に演じるのは,一作品の中で一人一役で あること
- スタジオ収録で「声」をアテること
- 世間のイメージ・認知度(その人物が声優で あると認められていることの度合い),である。
- 活動弁士
- 声優業の黎明期に主な仕事の一つであった,「外国映画(洋画)の吹き替え」について,時代をさ
かのぼると,これもまた諸説あるが,外国映画が日本に輸入され,上映されたのは1895年,また
は1896年,という説がある
当然映画は最初,いわゆる「活動写真」と呼ばれる,白黒 の無声映画,サイレント映画であり,「活動(写真)弁士」(以下,活動弁士,弁士と表す)が内容 を「説明」することで「音声」が入ることになった。それは後のトーキー映画(音声を収録した映 画),そして現代の映画へと近づいていくことになる - その日本独特の形で発展した弁士であるが,活動写真という映画作品自体ではなく,特定の弁士
自体の人気が高まったり,弁士によって映画を選ぶ,ということもあったりしたという。その点
については,今の声優の人気の原点,性質,共通点を見出すことができる。また現役の活動弁士・
山崎バニラ は,無声映画時代の映画館での弁士は「前座からメインを務める弁士までランクも分
かれていました」19 と述べている。これは現代における声優の「ランク制」2に関わる共通点であり
重要な点である
無声映画の全盛期はわずか30年ほどであり,弁士は1930年代になると「トーキー映画」の浸透によって,弁士は「時代遅れ」になり急速に姿を消していったとされている - 活動弁士の山崎バニラは「声優と活動弁士の違い」について,(例外もあるが)基本的に声優は 一役に集中して演じる点,活動弁士は同時に様々な役を演じる点だとしている25。一人の声優が同 じ作品の同じ話・回で複数役を演じることもあるが,それは比較的稀なケースであり,一方弁士の 場合,一人で説明ナレーションから,何人もの役を並行で演じるのが当たり前になっている。
- 俳優の「声優業の兼業」
当初声優の仕事を始めて間もない頃は,劇団に所属 していた舞台・ドラマ俳優だった人たちであり,仕事の一つ(副業)として,あるいはあくまでも 本業の合間のアルバイトとして声優業をこなしていた - 2016年,『君の名は。』,『この世界の片隅に』 等の劇場版アニメーションにおいて,タレント が主演声優として世間でも若者を中心に注目を集め,大活躍したことはまだ記憶に新しい。現代で も劇団所属の子役やタレントが仕事の一つとして声優業をしていたり,あることがきっかけで声優 という職業に完全に移行したりする,というケースは少なくなく,むしろ実力派に多い
- 戦前の映画や戦後 TV が放送されて間もない頃の声優業の黎明期に,吹き 替えなどの声優業を担当した劇団の舞台俳優・女優らの多くは,それ以後必ずしも「吹き替えなど の声優の仕事を相当量こなした」とは言えない。やはりむしろ「劇団所属の舞台・芝居俳優(女優)」 というイメージが強く,そういう役者,俳優は,声優とは素直に言うことはできないのではない か。だがむしろその時点で「声優として継続して活躍した俳優」らが以後「大御所声優」などと言 われている事例も多々ある。
- 「NHK 放送劇団」の研修生が「声優第一号群」
この NHK 放送劇団とは,戦前の昭和初期「1941年」,当時の娯楽として, また情報伝達・収集の手段として生活の一部になっていたラジオ放送の中で,人気となっていた 「ラジオドラマ」に力を入れるべく,自前でラジオドラマの役者も用意できるように,NHK が専 門の劇団をつくったものである。これ以降,多くのラジオ局が放送劇団を設立した。これにより 「ラジオドラマ役者の育成」が「声優の養成」の本格的な始まりとなり,多くの声優が誕生する大 きなきっかけとなった,とも言える。これらのラジオドラマ専門の役者を所属させ育成する各「放 送劇団」は,「声で演じる役者」が「専門職」として定着させる役割を果たしたと考えられるから だ - ラジオからTV へ―洋画の「持ち役制度」から声優の認識がされるまで―
1950年の TV(実験)放送開始,そして1953年の正式な NHK や NTV の開局によって TV 放送 が始まった40 ことをきっかけに,TV 放送の普及が始まり,ラジオから TV へ人気は移る
この声優業が始まって間もない頃は,劇団所属の俳優らが外画・洋画の吹き替 えを担当していた。これ以後,洋画の吹き替えには独自の制度である「持ち役制度」というものが 誕生する
TV 放送が本格化して,(TV 放送開始してからしばらくはまだアニメ作品は 比較的量的に少ないが)外画・洋画の吹き替えという仕事がきっかけで,世間的に,現代の感覚に おいて本当の意味で,今に続く「声優」という存在が明確に認知され(俳優とはまた異なった存在 として区別され),はれて誕生したのではないかと考えられる - 持ち役制度
「持ち役制度」とは「外国映画において一人の俳優を特定の声優が「持ち役」として吹き替える システム - 第一次声優ブーム
この中でも野沢那智は,吹き替えをはじめ,ラジオの DJ,ナレーション等で人気を博し,初 めて「追っかけファン」まで現れるようになったという46。野沢らをはじめとした,このような現 象を中心に,声優の初のブームである「第一次声優ブーム」とみる考えもある
「第一次声優ブーム」の勢いに乗るように,1960年代末から1970年代初頭にかけて,俳協から枝 分かれするかたちで,現代に続く大手の「青二プロダクション」,「江崎事務所」(現「マウスプロ モーション」)などの声優専業の事務所が設立され,少しずつ現在のような声優業界,声優マネ ージメント,声優養成等それぞれのシステムや,状況・環境,そしてビジネスにつながる変化,あ るいは「進化」が始まる - 1953年の TV 放送開始から1963年の約10年間に,洋画の吹き替えで活躍した声優 が多数所属する,劇団・芸能事務所の「テアトル・エコー」の結成,「俳協」(東京俳優生活協同組 合)の設立,また「日俳連」(協同組合日本俳優連合)の前身である「放芸協」(協同組合放送芸能 家協会)の成立が相次いでいる
- おわりに
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討論20世紀初跟聲音演藝人員相關的歷史,從錄音機時代的活動弁士到電視機時代幫國外影集配音的持ち役,最後是本土影片的聲優
我覺得這篇文章有哪些重點?或是我的心得?
簡單的介紹20世紀早期的聲音演藝人員史
簡單的介紹20世紀早期的聲音演藝人員史
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