2021年1月7日 星期四

〈多様な表現を可能にする制作者の 労働規範の変容-1970~80 年代のアニメ産業を事例として〉永田大輔、松永伸太朗

  1. はじめに
    1. 問題設定
      1980年代の日本国内のアニメ産業では,アニメブームという特異な消費者の浮 上を伴う市場の変動が問題になる。本稿は,その変容を可能にするアニメ制作者 の労働規範がどのようなものとして形成されてきたのかを明らかにする
      1. 日本のアニメ産業ではそうした重要な転換期がいくつか存在してきた。その転 換期のひとつが,1970〜80年代のアニメブームにおける消費者の浮上である。こ の浮上に合わせて1980年代には放映作品の量的拡大  に加えて,質的な変化が生じ た。70年代末から劇場アニメが邦画の興行収入で上位を占めはじめ,作品の質的 な変容も起こり始める。それに伴い,新たな消費者像の変化も認知され始める。 その当時開始されたテレビアニメには『宇宙戦艦ヤマト』などアニメ雑誌 で人気 のある作品もある一方,『ドラえもん』などの一般に人気のあるアニメも存在した。
        しかし,1980年6月号の『アニメージュ』での作品ランキングでは,『ドラえも ん』はトップ20にも入らなかった。このことはアニメ雑誌の編集部にも衝撃的な 出来事とされた(『アニメージュ』1980年6月号)。このように,一般層とアニメフ ァン層の視聴する作品に質的な差異が見られはじめていたのである。
      2. アニメ産業において,この市場変動と新たな消費者の浮上の問題が関連するの が,OVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)の登場である。OVA は5,000~ 10,000人をターゲットとしたメディアである
    2. 先行研究
      本稿では,そうした1980年前後の市場の変化を可能にする労働規範 が,いかにして現れていったのかに着目する。
  2. アニメーターの職務概要
    1. アニメーターの職務内容
      表1に記載した職務はそれぞれが独立性を有する。一般には,監督から絵コン テ,絵コンテから原画のように,指揮命令上の上流/下流という関係はあり,報 酬もそれに連動する。しかし,ベテランでも原画工程にあえて留まって活躍し,尊敬を集める者もいる。原画・動画工程の報酬体系はカット単位・枚数単位の出 来高制となっていることが多い。
      仕事の獲得は,産業集積を前提とした企業間関係と制作者の人的ネットワーク に多くを依存しており,下流にいくほどこの依存は顕著になる。日 本アニメーター・演出協会によれば,アニメーターの過半数は企業に雇 われず,複数の企業と契約を結んで働くいわゆるフリーランサーである

  3. 分析枠組みと資料の分析上の位置づけ
    1. 分析枠組み
      労働過程論は,労働現場とその環境要因の関連についても考察してきた。市場 が労働現場を決定する環境決定論への対抗から,ブラウォイ(1979)は労働現場 の自律性を強調した。市場と労働現場両者の関係の議論を進めたのが,エドワー ズ(1990)である。エドワーズは,環境要因の変化は個々の労働者を媒介して経 験され,そこから労働過程に変化を及ぼすとしている。ここでは労働者の規範が 働き方に影響し,そこから労働者の経験が形作られる。
    2. 雑誌『アニメージュ』の分析上の位置づけ
      本稿で資料とするのは,1978年に創 刊された月刊アニメ雑誌『アニメージュ』(徳間書店発行)である。この『アニメ ージュ』は大衆向けに刊行されたアニメ雑誌で,最盛期には25万部を発行するな ど,長らくアニメ雑誌の中では最大部数を誇る雑誌であった
       同アニメ雑誌の内容は,読者の投稿欄と作品に関する紹介が主である。その紹 介や大きなテーマを設けて特集を行う際に,アニメーターを対象としたインタビ ューや座談会などが頻繁に行われていた。本稿では,そうした記事上でアニメ制 作をするうえで何が問題となっていったのかに着目しつつ分析する。
      1. 最大部数の雑誌『アニメージュ』に着目するのは,この時期のアニメ雑誌では, アニメーター志望者への働きかけも行われていたからである。その象徴的な事例 のひとつが,1984年12月の読者投稿を受けて作られた1985年2月の小特集である (『アニメージュ』1985年2月:128-129)。この特集では,「アニメーターになりたい」 という投稿に対して,読者から「アニメーションの本,アニメーターになるため の参考資料などの調査結果や,同感の意見,励ましの内容」が寄せられたとし, 自分は諦めてしまったが目指してほしいという応援のメッセージや,専門学校等 を紹介する読者投稿が掲載された。その上で代々木アニメーション学院のコース 紹介がなされ,現役のアニメーターの経験談・応援談が複数寄せられた。この「熱 心さ」からわかるのは,アニメ雑誌の読者が,単なる消費者としてだけでなく,人手不足を補う労働力の供給源のひとつとしての可能性を持っていたということ である。本稿ではそうしたアニメ雑誌受容の状況を踏まえつつ,アニメ雑誌にお ける語りを位置づける
  4. アニメブーム期の労働を読み解く視点
    1. アニメブームに伴う労働力不足
      テレビアニメ制作では,制作現場にとってはスポンサーとの関係が重要になる。 その結果,スポンサーの意向の範囲内で制作を行わねばならなくなり,表現上の 制約になっていった。そうした中で,表現の制約に満足しない一部の制作者が現 れはじめる
      これにより,アニメファン向けの作品と子ども向けの作品を別々に制作する必 要が生じる。このことは,制作現場にとってはこなす業務の増加とともに,多様 なジャンルで多様な絵柄を含む作品を制作しなければならなくなったことも意味 していた。その結果,当時の制作現場は人手不足に見舞われ,生産能力の限界が 指摘されていた
    2. アニメ制作者における実力主義
      1. 第一はなぜこれほどまでに「実力」が重視 されるのかという点である。この疑問が生じてくるのは,アニメーターの賃金形 態が,枚数による出来高制であることによる。つまり,出来高制では「速さ」以 外の実力は必ずしも即座に賃金に反映されるものではない。そうであるにもかか わらず「実力」が重要視されるのはなぜなのかを問わなければならない
      2. 第二は 「実力」が計測可能なものと考えられているのはいかにしてかである。アニメ制 作者で重要なものとして語られるのは,「工程を遵守し」「独創性を発揮しないこ と」にある中で,その技能はどのように計測可能なものとして認識されているの かを問う必要がある
      3. これらのことを解くヒントは,アニメーターが下流にいく ほどフリーランス的な働き方をする傾向にあるという指摘である。後述するが, このフリーランス的な働き方を継続する資源として実力主義は存在しているので ある。こうした実力主義のあり方は,フリーランス労働という観点からは一見奇 妙に見えるが,実際にはフリーランス的な働き方の下で成立してきた形態である ことを後に論じる
  5. 制作者の労働規範の変容
    ①『アニメージュ』1979年12月「座談会 劇場アニメ70年史 かえりみて語 る“われらの動画”」pp.96-102 参加者 藪下泰司(1903-1986) 大工原節(1917-2012) 森康二(1925-1992)
    ②『アニメージュ』1979年12月「キャラクターは生きもの」pp.37-38 語り手 作画監督・大塚康生(1931-)
    ③『アニメージュ』1980年3月「座談会 小松原一男」pp.114-118 参加者 りんたろう(1941-),勝間田具治(1938-),小松原一男(1943-2000)
    ④『アニメージュ』1981年1月「座談会 サンライズ」pp.113-117 参加者(役職はすべて当時) 荒木芳久(脚本 1939-)飯塚正夫(企画室・デス ク 1941-)金山明博(アニメーター 1939-)富野善幸(演出 1941-)星山博之(脚 本 1944-2007)山浦栄二(取締役企画部長 1935-2010)佐々木勝利(演出 1943- 2009)
    ①は戦前から活躍するアニメーターに近年の変動を尋ねたもので,②は現に変 化を経験したベテラン世代の語りである。③④は,市場の変化を与件とした新た な世代の語りである。
    1. 裁量の制約の進行-①
      1.  ここではアニメが映画に対して撮り直しのコストが高いことなどが述べられて いる。アニメーターにどういったものをどういった目的で伝えるかが重視され, そのためにアニメーターのクセや性格を把握することが重要であるとする。
      2.  ここではテレビアニメ放送以前と以後で制作体制が変わったことが指摘されて いる。東映動画の劇場作品で森・大工原が大半を作画した作品を例に絵柄の違い よりも,「動き方」「ストーリー展開」がおかしい方がより大きな問題だったとさ れている。それに対してテレビアニメ放送以降では需要の拡大で原画に経験不足 の者も投入せざるを得なくなり,作品の質を維持するために作画監督という制度 が生まれたと語る。すなわち,作画監督という工程の浮上はアニメーターにとっ て作品ごとに絵柄が統制されることを意味した。
    2. 制約のもとでの「職人」的な表現-③
      1. ここではひとつのキーワードとして「商業主義」が,とりわけオリジナルの絵 を制限するような裁量制約の問題と強くかかわるものとされている
        その「商業主義」に関連して,「職人」と「作家」が対置されている。その中 で「職人」の代表として小松原が位置づけられ,彼の職業に対するスタンスへの 評価を他の二者が行っている。小松原は「職人」として優れた評価を得つつも, 「作家精神が欠落している」とされている。そのうえでりんは,商業主義である 限りは自分の職業人生との接点が少なくとも,仕事が来たならばその仕事を受け るという。
    3. 同世代ネットワークに基づくフリーランス的な働き方-④
      そうした同世代との共同作業として彼らは,「虫プロ」流発想からすれば「俗 悪」と語るなど前世代との断絶をしばしば強調しており,「金のため」という形 で作家性へのこだわりを否定している。またサンライズの主要な人物である安彦 に,たとえ仕事に慣れていない職務があったとしてもなんでもやらせてみるとい う形で仕事を回していたことが語られている。このようにさまざまな仕事を工程 遵守的にこなすことが肯定的な労働規範として語られていたのである。裁量の制 約は制作者から問題とされつつも,その中で発揮される表現が「実力」として認 識されるようになっていた。そうした前世代とは異なる実力観に基づいて仕事を 回し合うようになったことによって,そこに関わる制作者同士が同世代性を確認 することにもつながった。こうした工程遵守的に仕事をこなす労働規範は,その 労働条件の変化の中で,次第に肯定的なものと認識されるようになったのである
  6. 結論
    1. 本稿ではアニメブームに伴う市場変動を支えうる労働規範がいかなる条件のも とで成立してきたのかを明らかしてきた。これを通して,コンドリーの言う,「第 1の(制作者同士の)相互作用」と「第2の(制作者と消費者の)相互作用」の関 係を記述してきた。具体的には1970〜80年代における消費者の浮上とアニメ制作 者の関係である
    2. 本稿において分析の中で示したのは以下の内容である。アニメブームという市 場変動のなかで,OVA などさまざまなメディア展開によって,多様な表現をし たり,多くの労働をこなす必要が出てきた。アニメ雑誌上でそのための人材の募 集がなされたが,そのために必要な能力はどのようなものだったのか。アニメブ ームという外的要因の変動が現場にもたらしたのは,商業主義による裁量の制約 であった。これが展開した結果,制約の中でさまざまな絵柄に対応できる形での作家性を発揮するアニメーターが現れ,評価を集めるようになる。こうした実力 評価に基づくフリーランス的な働き方が主流になっていった。このことは,労働 過程論の枠組みで考えるならば,商業主義の進展によってもたらされた裁量の制 約が当初は作家性を尊重する規範から避けられるべきものとしてあったが,これ が進展していくにつれて,むしろ制約の中でさまざまな絵柄に対応できる制作者 であることの方が,アニメーターとしての規範の中で優越していったことを示し ている。つまり,消費者の浮上を伴う産業上の変化を可能にするこうした規範の 変化は,まさに商業主義という産業上の変化の中で起こった規範の変化でもあっ たということである
    3.  雑誌記事の中で語られた事柄は,市場の変化から生じたアニメーターの労働規 範の変化を示すだけでなく,そうした変容後の労働規範を魅力的なものとして読 者に対して提示するものでもあった。つまり,変容後の労働規範が,雑誌を通す ことで文化として読者に伝えられたのである。そこで称揚された労働規範は,作 家性を発揮するとしても制約された裁量の中で行うこと,フリーランス的な働き 方に依拠していくことである。こうした労働規範によって,さまざまな職場や作 品に合わせた形で多様な絵柄をその都度の要求に従って描くことが肯定的に捉え られるようになる。これらの労働者像は,アニメブームによってもたらされた OVA の登場などの量的・質的な市場の変動を支えるうえでまさに必要な労働者 の姿であった。アニメブームによる市場の変化が裁量の制約をはじめとした労働 規範の変化をもたらし,雑誌を通して新たな労働力の候補としての読者へと伝え られたと考えられる。

覺得這篇文章想要討論什麼?
從動畫雜誌舉辦的動畫工作者座談會中,討論不同年代工作規範的不同

我覺得這篇文章有哪些重點?或是我的心得?
簡單來說就是,在1980年代之後,因應大量的市場需求,在量與品質上都要有提升,因為對動畫製作添加了一些限制,以便工作的進程有效率,另外也尋求許多的自由畫師,而這些畫師的實力評價來自於他如何在限制的環境中發揮創意。
而這樣的工作環境變化,透過雜誌傳達給讀者(未來可能的動畫工作者)

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