2020年12月4日 星期五

〈ビデオテクノロジーの歴史的展開にみる 技術/空間/セクシュアリティ ―1970 年代日本におけるビデオ受容空間とそのイメージの変遷-溝尻真也〉

  1. 問題関心 
    1. ビデオテクノロジーのメディア史に向けて
      日本において家庭用ビデオデッキが本格的に普及するのは、1980 年代半ば以降である。ビデオデ ッキの普及は、それまで一度観たら終わりであった映画やテレビ番組を、好きな時間に、繰り返し 観ることのできるコンテンツへと変化させた。また、録画しコレクションされることを前提とした テレビ音楽番組が生み出されたり 、ビデオでしか観ることのできないオリジナルのコ ンテンツ制作も盛んになるなど、コンテンツの内容や形式にも影響を与えており、家庭用ビデオデ ッキの普及は、日本のテレビ放送や映像文化の歴史を考える上でひとつの転換点であったと考える ことができるだろう。
      本研究は主に 1970 年代の日 本におけるビデオテクノロジーに対するイメージの流通過程に焦点を当てる。「VHS/ベータ戦争」が起こり、ビデオが家庭用のテクノロジーとして広く浸透しはじめる以前の段階で、ビデオは いったいいかなるテクノロジーとしてイメージされていたのだろうか。
    2. ポルノビデオ/アダルトビデオへの照準
      ビデオテクノロジーのメディア史を語る際に、必ず引き合いに出されるのが、こうした「ビデオ テクノロジーの普及にとって、アダルトビデオは決定的に重要であった」「VHS/ベータ戦争でV HSが勝利したのは、松下(=VHS)の代理店がビデオデッキ販売時にアダルトビデオをおまけと して配っていたからである」といった神話であろう。この雑誌記事にも見られるように、こうした 神話は、既に 1980 年代末の段階で流通を始めていた。
      「ビデオテクノロジーの普及にとって、アダルトビデオの存在は決定的に重要 であった」という言説が、いかに構築され、流通するに至ったかを明らかにすることを目指す。そ してこれらの記述を通して、これまでメディア研究の対象としてはほとんど扱われてこなかった(故 にこうした神話が信憑性を持って語られてきた)、ビデオテクノロジーおよびそのイメージの普及過 程を明らかにすることを、とりあえず本研究の目的として設定したい。
    3. 言説とイメージのポリティクス
      一次資料としては、『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録 件名編』の3巻および5巻にて、「モーテ ル」「ラブホテル」「ブルーフィルム、ポルノビデオ」の項目に分類されていた雑誌記事、計 524 件(重 複を含む)を用いた。
      また業界向け専門雑誌の記事は大宅文庫の索引に載っていないこ とが多いため、それを補うため、今回は国会図書館に収蔵されている、創刊から 1985 年までの『レジャー産業資料』『月刊ホテル旅館』『月刊ビデオ&ミュージック』を通読した。またそれ以外にも、 独自に発見した資料を適宜使用した
  2. 1970~80 年代におけるビデオイメージの生成過程
    1. 1970 年代における業務用ポルノビデオの流通
      ビデオという言葉が認知されるようになったのは、1970 年の講演会で語られた、石田達郎・フジポ ニー社長による「ビデオソフトウェア産業は十年後には五千億円規模の産業になるであろう」とい う宣言が契機であったとされる。
    2. 親密な空間におけるポルノビデオ受容
      業務用ビデオデッキが米・アンペックス社によって開発されたの は 1956 年だが、日本でも、1965 年にソニーが家庭用ビデオデッキを発売して以降、各社が相次いで この分野に参入していた。1969 年にはビクターとソニーがカラービデオデッキを発売しており、石 田発言は、このように白熱しつつあったメーカーの技術開発競争を背景になされたものであった
      1. 1971 年に行われたビデオソフト流通に関する調査では、当時流通していた個 人向けビデオソフトはわずか 0.5%に過ぎず、実に 98%が業務用ソフトとなっている。
      2. このようにビデオソフト業界は、業務用の成人娯楽が 6 割を占める状況から始まった。1970 年頃 まで、こうした成人娯楽のためのソフトは一般的にピンクビデオと呼ばれていたが、この時期のピ ンクビデオはピンク映画を焼き直したものが主であった。
        当時ポルノビデオとは、モーテルやラブホテルなどで受容されるメディア だったのである。
        モーテルやラブホテルにおける、ポルノ視聴装置としてのビデオテクノロジーの存在は、少なくと も 1970 年代初頭にはかなり認知されていたといえるだろう 
    3. 「観る」ビデオと「撮る」ビデオ
      当時ラブホテルにおけるビデオ撮影装置は、ビデオ視聴 装置以上に明確に、性行為時における被撮影者の性的興奮を高めるためのテクノロジーとして言及 されていた。換言するなら、ここでビデオテクノロジーは、密閉された親密な空間で、その親密さ を確認するために、自らを録画・再生するテクノロジーとして言及されていたのである
      こうした性的欲望とテクノロジーへの欲望を、同時に分節不可能な形で喚起するものとして、 当時ラブホテルのビデオ撮影/視聴装置は語られ、またイメージされていたのである
    4. ビデオテクノロジーの家庭化/個人化
      1. 1980 年代半ば頃からVHS/ベータの普及は急速に進んでいくが、それに少し先行する 形で、1980 年以降、ポルノビデオに関連する雑誌記事は急増している


      2. これまでの本論の流れを鑑みれば、ラブホテルからビデオ撮影装置が消滅した要 因はそれだけではないだろう。ビデオが家庭化するということは、それが単なるイメージの次元を 超え、生活空間の中で実体化されるということでもある。特に 1985 年にソニー・ハンディカムが発 売されて以降は、撮るテクノロジーとしてのビデオも家庭化していく。自分たちの身体を映像に撮 るという行為が非日常でなくなるにしたがって、ラブホテルのビデオ撮影装置はその姿を消し、「消 し忘れ」というジャンル呼称――それはラブホテルという空間とビデオテクノロジーの必然的な結 びつきを表していた――も、次第に広い意味での「素人もの」へと変わっていっ たのである
  3. まとめ
    アダルトビデオに象徴されるような性的欲望はもちろんのこと、メディアの生成過程にはコンテ ンツ消費への欲望が不可避的につきまとう。それが特に強くなっていくのが主に 1970 年代以降だっ た訳だが、こうしたコンテンツ消費への欲望が言説として大量に流通していく裏で、 テクノロジーへの欲望は次第に不可視なものになっていった

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本研究が明らかにしようとしているのはビデオテク ノロジーをめぐるイメージ .... の生成・変容過程であり、こうしたかたちでしか言及される機会がなかっ たこと自体、ビデオテクノロジーをめぐるイメージ構築のひとつの結果であり、また要因であると 考えることができるのではないだろうか。

我覺得這篇文章有哪些重點?或是我的心得?
我覺得從性慾望來討論錄影機感覺很有趣,但為何會以性愛為起點倒是很感興趣,是原本廠商就以這樣的市場戰略來販賣,還是受外國影響?
對於錄影機的負面刻板與御宅族的負面刻板不知道有沒有關聯性耶

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