2020年11月27日 星期五

〈アニメ雑誌における「第三のメディア」としてのOVA-一九八〇年代のアニメ産業の構造的条件に着目して-永田大輔〉

  1. はじめに
    本稿は,一九八〇年代のアニメ雑誌上でのOVAに関する言説を,その産業史的な条件を含めて分析する
    OVAは東浩紀が八〇年代の"オタク向けアニメ"の代表として語るなどオタク文化に関して一時代を象徴するメディアである
    東 は O V A が 、 「 子 供 向 け の テ レ ビ ア ニ メ 」 と は 区 別 さ れ る も の と し て 、 八 〇 年 代 の オ タ ク 文 化 の 代 表 的 な も の と し て 挙 げ て い る の で あ る
    本 稿 で は 東 ( 一 九 九 六 ) の 議 論 に 示 唆 を う け 、 ア ニ メ 雑 誌 上 の O V A を め ぐ る 語 り を 検 討 す る 。
  2. 分析資料
    アニメ雑誌は一九七〇年代後半から相次いで創刊したジャンルである
    岡田によるとオタクが増加していくうえで重要だったのはビデオとアニメ雑誌の成立であるという
    1. 本稿の資料として用いるのは,"アニメージュ"(1978)と"Animec"(1978)と"アニメV"(1985)という三つのアニメ雑誌である
      1. 現在でも刊行されている"アニメージュ"は,アニメ雑誌として独立して創刊した初の雑誌で,最盛期は二五万部といわれる
        長らく最大部数を誇ってきており,アニメファンの最大公約数的な需要を見込んだ媒体である
      2. "Animec"、は批評的な投稿にその特徴を有しており,一人の読者の投稿が一ページ以上にわたって掲載されることもあり,編集側と読者との論争も多く,自らをアニメ文化の中で特権的な位置におく傾向が見られた
      3. "アニメV"は,OVAを専門とした雑誌であり,ビデオに関する記述は他誌よりも見られ,OVAの紹介やビデオ使用の様々なテクニックの記述もみられる
      4. アニメ雑誌の特徴としてまず挙げられるのが投稿欄の重要 性である
        生産者と消費者の意見 が 交 換 さ れ る 場 と し て ア ニ メ 雑 誌 全 体 が 編 成 さ れ る こ と にな り 、 編 集 は と き に 両 者 を 媒 介 し 、 相 互 交 流 を 促 進 さ せ る よ う に な る
  3. OVAをめぐる構造的条件
    1. OVAの制作状況
      日 本 で 初 め て の O V A 作 品 は 『 ダ ロ ス 』 で あ る 。 当 時 『 う る 星 や つ ら 2 ビ ュ ー テ ィ フ ル ド リ ー マ ー 』 で ア ニ メ フ ァ ン た ち の 話 題 を 集 め て い た 押 井 守 が 制 作 に 関 わ っ た 。 以 降 、 O V A は 一 九 八 四 年 に 六 本 、 一 九 八 五 年 に は 三 〇 本 、 一 九 八 六 年 に は 八 六 本 と 爆 発 的 に 制 作 本 数 を 増 し た
      1. こ の 背 景 に は 、 ビ デ オ を め ぐ る 環 境 の 二 つ の 変 化 が あ る
        1. 一 つ は ビ デ オ デ ッ キ の 家 庭 へ の 普 及 率 が 爆 発 的 に 増 加 し て い る と い う 、 一 九 八 〇 年 代 中 頃 ま で に 整 備 さ れ つ つ あ っ た メ デ ィ ア 環 境 で あ る
        2. ビ デ オ に関 す る 法 整 備 が な さ れ た こ と で あ る
          日 本 ビ デ オ 協 会 の 働 き か け も あ り 、 レ ン タ ル が 合 法 な も の と し て 整 備 さ れ て い き 、 レ ン タ ル ビ デ オ 店 の 数 が 急 速 に 増 加 し 6 た
        3. O V A は 制 作 本 数 が 増 加 し つ つ も 採 算 の 水 準 で い う と 、 制 作 本 数 に 市 場 全 体 が 追 い 付 い て い る と は い え な か っ  た 。 採 算 が と れ る コ ン テ ン ツ は 一 部 で あ り 、 そ れ 以 外 は 制 作 費 を 回 収 す る の も 困 難 だ っ た 。 ま た 、 そ の 市 場 規 模 以 上 に O V A が ア ニ メ フ ァ ン を 超 え て 一 般 に 語 ら れ る こ と も ほ と ん ど な か っ た
    2. 生産人口の制約性
      一九八〇年代のアニメをめぐる状況を考えるうえでもう一つ重要なのが,アニメ制作者のリソース自体が制約されていたということである

      OVAは,一本あたり四五分~八〇分程度が主流であった。テレビアニメはCM等があるため一本あたり二五分であることを考えると,OVA一本につきテレビ二~三本分の労働力が少なくとも必要となる
  4.  「第二のメディア」と「第一のメディア」
    "第一のメディア"とはテレビアニメであり,"第二のメディア"は劇場版アニメであった
    一九六〇年代のテレビアニメは,子ども向けという性質を背負いこまざるを得なかったが,七〇年代のアニメブームを起点として子ども以外のアニメファンの存在が発見されていく
    1. 「第一のメディア」である国産テレビアニメ第一号は一九六三年の"鉄腕アトム"であり,手塚治虫主導で行われた
      そ れ 以 前 に 年 に 数 本 制 作 さ れ る 劇 場 ア ニ メ に 対 し て 、 テ レ ビ ア ニ メ に は 一 週 間 に 三 〇 分 の 放 送 を 低 予 算 で 可 能 に す る た め に リ ミ テ ッ ド ア ニ メ と い う 手 法 が 用 い ら れ た 。 こ の こ と で 、 テ レ ビ ア ニ メ は デ ィ ズ ニ ー の よ う な フ ル ア ニ メ に な る こ と が で き な い ア ニ メ ー シ ョ ン と し て 低 品 質 な も の と い う 認 識 が 成 立 す る 。
    2. 「第一のメディア」で顕在化した問題(新たな視聴者,アニメの質,制作者のリソース)が,このメディアの特性を決定している
      第二のメディアの展開ははじめヒットしたアニメの映画化というものが多かったが,次第にヒットしなかったアニメの敗者復活戦としての性質を帯びる
      そして,新たな視聴者をめぐる意味づけがそこからさらに生まれてくる
      象徴的なのが,"機動戦士ガンダム"の人気を受けて注目された富野由悠季の"伝説巨神イデオン"という,はじめから"中高生向けアニメ"と銘打たれたテレビアニメ作品の劇場化をめぐる言説である
    3. 「 第 一 の メ デ ィ ア 「・」 第 二 の メ デ ィ ア 」 を め ぐ る 流 れ は 以 下 の よ う に ま と め ら れ る 。
      1.  ア ニ メ 雑 誌 や 制 作 者 が 新 た な 視 聴 者 像 を 発 見 す る 。 
      2.  制 作 者 は そ う し た 視 聴 者 層 が い る こ と で 作 家 意 識 を 持 ち 、 自 由 度 の 高 い 方 向 ・ 質 の 高 い 方 向 へ と 志 向 す る
      3.  ア ニ メ フ ァ ン の 側 も 移 行 を 始 め る が そ れ に よ っ て 、 一 般 層 と の 乖 離 が 大 き く な る 。
  5. 「第三のメディア」としてのOVA
    1. 「自由な表現」をめぐって
      第 三 の メ デ ィ ア 」 と し て O V A が 着 目 さ れ た 際 に 繰 り 返 し 提 起 さ れ た の は 、 大 き な 制 約 が あ る テ レ ビ ア ニ メ に 比 べ て 制 作 者 に と っ て 「 自 由 な 表 現 」 が 可 能 な 場 で あ る と さ れ た こ と で あ る

      ビ デ オ と い う メ デ ィ ア と テ レ ビ ア ニ メ の 競 合 が 問 題 化 さ れ る 。 ア ニ メ と い う 文 化 全 体 が 縮 小 し て し ま う と い う 危 惧 は 、 み ん な が 楽 し め る 「 テ レ ビ シ リ ー ズ が 維 持 さ れ る べ き 」 と い う 意 識 を 生 み だ す 。
    2. アダルトアニメという表現
      そ の 心 構 え の 例 と し て ロ マ ン ポ ル ノ と ア ダ ル ト ア ニ メ の 違 い を 語 る 。 編 集 側 は 、 ロ マ ン ポ ル ノ の 場 合 、 日 活 の 側 の ポ ル ノ を 撮 る と い う 制 約 下 で 、 監 督 ら が 「 与 え ら れ た 制 約 を 何 と か く ぐ り ぬ け 」 る こ と で 作 品 性 を 持 ち え た と す る 。 そ れ に 対 し て ア ダ ル ト ア ニ メ 制 作 者 は 「 裸 が 売 れ る 」 こ と を 知 っ て そ れ を 利 用 し て い る と し 「、 T V で 描 け な い よ う な シ ー ン を ビ デ オ で と る た め に 裸 を 描 い て い る と 位 置 付 け 、 そ れ を 誌 上 で 取 り 上 げ る 必 要 は な い と 明 言 す る 。 こ う し た 立 ち 位 置 は ア ダ ル ト 文 化 を 通 し て ア ニ メ 文 化 全 体 を 考 え る よ う な 動 き を 示 す も の で あ っ た 。

      OVA作品は,アニメ文化全体から考えたときに,商業の論理にのっとったテレビアニメでできない"作品"を作る場であるべきという規範が提示されており,アダルトアニメは結局のところ商業の論理に従っているのではないかという批判でもあったのである
    3. 「テレビ的でないもの」をめぐって
      あ る べ き 「 第 三 の メ デ ィ ア 」 と し て の O V A に お い て は 、 テ レ ビ や 映 画 と の 差 異 化 が 目 指 さ れ る こ と に な る が 、 実 際 に は そ れ ほ ど う ま く い っ て い な い

      そ の こ と に 関 し て も 賛 否 が 巻 き 起 こ っ て い た 。 よ り 問 題 と な る の は テ レ ビ と の 差 異 化 で あ る 。 差 異 化 が 目 指 す 一 つ の 方 向 に 押 井 守 の 『 天 使 の た ま ご 』 な ど の よ う に 物 語 の 高 度 化 と い う 志 向 性 を 持 つ 作 品 が あ ら わ れ る 一 方 で 、 も う 一 つ 目 指 さ れ た の は 映 像 の 高 度 化 で あ る

      何 度 も 繰 り 返 し 見 る こ と が で き る と い う ビ デ オ の 特 性 を 利 用 し て さ ま ざ ま な 仕 掛 け を 作 る こ と が 目 指 さ れ 、 ア ニ メ 雑 誌 は そ の 宣 伝 ・ 補 完 機 能 を 担 う よ う に な る

      初 め に 、 「 第 一 の メ デ ィ ア 」 か ら 「 第 三 の メ デ ィ ア 」 と い う 映 像 の 差 異 が 生 ま れ 、 そ こ で オ タ ク 的 な 消 費 と い わ れ る よ う な 消 費 の 仕 方 を 身 体 化 す る こ と に よ っ て オ タ ク 的 な リ テ ラ シ ー と 一 般 層 の リ テ ラ シ ー の 差 異 が 生 ま れ る の で あ る
    4. テレビ的なものへの回帰
      こ の よ う に テ レ ビ と の 差 異 化 を 目 指 す O V A で あ っ た が そ の こ と の 困 難 さ も 露 呈 し て く る 。 映 像 技 術 の 高 度 化 が 志 向 さ れ る こ と に な る 一 方 で ニ、 ッ チ を 狙 っ た 作 品 で あ る と は い え 、 一 定 の 採 算 を と る 必 要 性 も 高 ま る 。 そ の 採 算 を と る た め に 二 方 向 の 戦 略 が と ら れ た 。 一 方 の 方 向 が 監 督 な ど の 作 家 性 に 頼 る も の で あ っ た 。 も う 一 方 と し て あ る 程 度 の 知 名 度 を 持 っ た 原 作 等 に 注 目 が あ つ ま る 傾 向 が 生 ま れ 始 め た
      OVAは,ある程度の商業規模を維持しなければならない結果として,一部を除いて次第に"テレビ的なもの"になっていく。その結果,次第にOVAは,その周縁性を失うと同時にその先端性も失っていく
      OVAは,アニメオタクがデータベース消費のような消費のモードを形成する上で重要な役割を果たしてきたが,オタク的なものの中心としてはその機能を失い,オタクは新たなフィールドを求めるようになっていく
  6. おわりに
    本稿は,一九八〇年代のOVAを取り巻く言説を検討し,オタク的と呼ばれるような消費者意識が形成されるまでを議論した
    1. 今 後 の 課 題 と し て は 三 点 を 考 え る 必 要 が あ る
      1.  一 点 目 は デ ー タ ベ ー ス 消 費 的 な 議 論 が ア ニ メ フ ァ ン ダ ム で 成 立 し た の と 同 様 に そ の 他 の 領 域 で も デ ー タ ベ ー ス 的 な 消 費 が 観 察 さ れ た こ と を 、 い か に 説 明 す る の か と い う 問 題 で あ る
      2. 二 点 目 も こ う し た 歴 史 の ロ ー カ ル さ と デ ー タ ベ ー ス 消 費 に 関 す る 議 論 で あ る が 、 ア ニ メ フ ァ ン ダ ム と い う の が 他 の 領 域 に 比 べ て ど の よ う に 特 異 で あ っ た の か を も 、 類 似 の 文 化 と の 比 較 か ら 考 え て い く 必 要 が あ る
      3. 三点 目 は 、 大 澤 の 議 論 と 関 わ る 問 題 で あ る が 、 オ タ ク 的 な 消 費 と い う の が 他 者 を モ ニ タ リ ン グ し 続 け る よ う な 消 費 で あ る の だ と し た ら 、 そ う で あ る に も か か わ ら ず な ぜ 社 会 的 に 無 価 値 な 閉 じ た 消 費 で あ る と い う 分 析 が な さ れ た の だ ろ う か

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本 稿 で は 、 O V A を め ぐ る 言 説 か ら 制 作 者 ・ 編 集 者 ・ 読 者 が 、 ア ニ メ 雑 誌 内 で ど の よ う な 集 団 を 外 部 と し て 意 識 し 距、 離 を と っ た か を み る 。 東でO V A 「が オ タ ク 向 け 」 ア ニ メ と さ れ る よ う な 文 脈 が 生 じ る 過 程 を 明 ら か に し 、 そ れ が ど の よ う な 帰 結 に 繫 が る か を 論 じ る


2020年11月26日 星期四

〈テレビアニメにみる日本の大衆文化の位置づけの変遷-幸田麻里子〉

  1.  研究の背景・目的
    そこで本研究は,日本におけるテレビアニメの変遷を分析することを通し,日本の大 衆文化の位置づけの変遷を明らかにし,アニメの「聖地巡礼」を成立させた背景を考察 することを目的とする
  2. 日本におけるテレビアニメ
    1. 分析対象とするテレビアニメ
      日本でテレビ放映された最も古いアニメ作品といわれる,1958年の「もぐらのアバン チュール」以降,2000年代の終わりとなる2009年末まで,約50年間にテレビで放映され たアニメ1,231作品について,そのうち 5 分以内のミニ番組やほかのテレビ番組内の 1 コーナーであったもの,および特別番組であった133作品を除き,1,098作品を分析対象 とした
    2. 放映されたアニメ作品数の推移
    3. 時代ごとのテレビアニメの特徴
      1. 1969年以前(1958年~1969年)
        作品として確固たる番組となったのは, 1963年に放映された手塚治虫の「鉄腕アトム」である
        60年代の作品は,手塚治虫をはじめ,藤子不二雄,赤塚不二夫など,人気漫画家の漫 画作品を原作とするものが中心であった少年漫画雑誌が中心で,1966年の「魔法使いサリー」まで,少女漫画を原作とするも のは見られない

        放映時間は,1963年の「銀河少年隊」の17時,同年の「仙人部落」の23時,1966年の 「レインボー戦隊ロビン」の20時,1968年の「佐武と市捕物控」の21時(ただし,本作 品は放映開始半年後より19時台へ移行)の 4 作品を除くと,放映時間が確認できた作品 の残りすべてが18時から19時台に放映されていた。


      2. 1970年代(1970~1979年)
        70年代の作品は,『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』などの少年漫画雑誌に加 え,『週刊少女コミック』『週刊マーガレット』などの少女漫画雑誌,さらに『小学一年 生』などの学年別学習雑誌や児童文学など,その原作は少年少女向けのさまざまなも のへ多様化が見られる。
        ロボットアニメと呼ばれるジャンルの始まりとい われる「ゲッターロボ」が1974年に放映され,以降のアニメジャンルで重要な位置づけ となるアニメ作品が生まれ始めたのもこの時期である。
        放映時間は,19時台が全体の75%を占め,17時台から19時台で95%を超えている
        21時台から22時台に放映された のは,「日本誕生」「いじわるばあさん」「まんが花の係長」であり,いずれも『サン デー毎日』『週刊ポスト』といった,大人向け週刊誌に掲載されたものであった。また, 1979年の「闘士ゴーディアン」は,10時台に放映され,確認できた中では初めて,朝の 時間帯に放映された作品となっている。


      3. 1980年代(1980~1989年)
        80年代の作品は,原作をもたないオリジナル作品の増加が見られるとともに,少年少 女向け漫画雑誌,学習雑誌,児童文学などに加え,『ビッグコミックスピリッツ』『モー ニング』などの青年向け雑誌に掲載された漫画を原作とするものも散見される
        放映時間は,19時台が依然としてもっとも多いものの全体の50%程度となり,一方で 17時台が大きく増え,結果的に17時台から19時台で90%を超えている。また,10時台を ピークに, 7 時台から10時台の午前中に放映される作品が,全体に対しては6.3%と大 きな割合ではないが,これまでの傾向と比べると,大きく増加している。


      4. 1990年代(1990~1999年)
        90年代の作品は,1990年の「PEACH COMMAND 新桃太郎伝説」がゲーム『桃太郎 伝説』,1995年の「ストリートファイターⅡV」が『スーパーストリートファイターⅡ V』といったように,人気の家庭用ゲーム機のソフトやコンピュータゲームを原作にし たものが目立つようになる。
        さらに,その定義はあいまいながらも「ライトノベル」と近年呼ばれている,中 高生をターゲットとしているといわれ,挿絵やイラストが比較的多い小説を原作とした ものが現れたのもこの時期である。

        この時期のもっとも大きな変化は,深夜の時間帯に放映されるアニメの増加 である。80年代までは,分析対象とした作品で,もっとも遅い時間に放映されたものは, 22時台または23時台であった。80年代にはミニ番組や特別番組として,24時を超える時 間に放映される作品が散見された

        1992年に『近代麻雀オリジナル』と いう雑誌を原作とする「スーパーヅガン」を皮切りに,24時を超える時間に放映される ものがみられるようになったのは,この時期である。1997年には25時以降のアニメ放映 枠ができ,同年には 1 年間に12作品が24時以降の深夜に放映されるようになった。こう した動きの結果として,90年代に放映された作品の13.6%が24時以降に放映された。


      5. 2000年代(2000~2009年)
        2000年代の作品では,18歳以下を禁じ たアダルト向けゲームを原作とするなど,内容においても完全に大人だけを対象とした ものがみられるようになった。
        放映時間は,作品数としては,これまで継続して最多であった夕方の作品が減少し, 午前の作品が増加,そして深夜の作品が急増した。作品数が午前の作品は,90年代と比 べて約 3 倍となり,深夜の作品は10倍以上で,全体の半数以上を占めるまでとなった


  3. 考察
    1. 日本のテレビアニメの原作にみる変遷


    2. 日本のテレビアニメの放映時間にみる変遷
      日本のテレビアニメの放映時間は,1969年以前,1970年代は95%以上という,ほぼす べてが夕方の時間帯が中心であった。80年代に入り,午前の時間帯が増え始め,時代と ともに増加傾向にある。90年代になると,24時以降の深夜の時間帯の作品が現れ,2000 年代以降は全テレビアニメ作品の半数以上を占めるようになった


    3. テレビアニメにみる日本の大衆文化の位置づけの変遷
      大人を対象とした,深夜の時間帯の作品は,アダルトコンテンツなど,その内容とし ても大人向けであるものがある一方,少年少女向け漫画雑誌に掲載されている作品を原 作とするものも,この時間帯に放映されるものが多くある。このことから,現代におい て少年少女向けの漫画は,少年少女だけのためのものではなくなったのではないかとい える。そして,漫画とテレビアニメが大衆文化の一端を担う,大人も楽しめるものに発 展したのではないかと考える。 

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作者列出00年代前的動畫播放時間,來證成動畫受眾的年齡逐漸擴大
但是我覺得深夜、下午的區分有點淺薄,畢竟青少年(國高中)有可能也會放在下午,跟國小幼稚園時段接近,這中間應該分三群受眾來討論
另外如果可以把這一千多部的題材一個一個整理,我覺得更精彩
最後OVA應該一起討論才是

2020年11月25日 星期三

〈アニメおたく(オタク)の形成におけるビデオとアニメ雑誌の「かかわり」 一一アニメ雑誌 「アニメージュ 」の分析からー永田大輔〉

  1. はじめに一一おたく/オタクという表象とビデオ 
    この奇妙な二人称がある人々をさす言葉としてマスメディ アに初めて登場するのは1983年のことであり,当時は平板名で「おたく」と されていた。
    中森は,今までにあったマニアや熱狂的ファンやネクラ族といった言葉に対し て,より広く人々もしくは現象全体として名指す言葉としておたくという言葉を 選んだという。
    ここで中森はこの特殊な二人称で呼び合う fキモイ」人々を「発見」したとい う。
    その言葉のメジャー化というのは決してポジティブなものではなかった。その 取り上げられかたはある幼女連続殺人事件の容疑者となった当時26歳の男が,「お たく」的な趣味を持っていたということに注目が集まったというものである。そ の「趣味」と「危険な性的」帯好をもった殺人者というイメージが結びつく。こ れによりいわゆるモラル・パニックに近い状態になった。
    1. 宮崎事件
      「性的倒錯=おたく=ビデ オ」というものを一本の線に結び付けてしまったのではないだろうか。少なくと も等号の後半部であるおたくとピデオというイメージの結びつけというのは,強 固なものであったと患われる。
    2. オタキングを名乗る岡田斗司夫
      彼はこれまでの平仮名書きの「おたく」 という記述から窓i型的にカタカナ書きで の「オタク Jへと変更するという戦略をとる。
      ここで注目に値するのは,性的な倒錯者であるという「おたく」像と,それに 対して本質的なのは「高度なリファレンス能力」のほうにあるのだという「オタ ク」像にしろ,その起源となるイメージとして80年代前後に認識されるようにな ったある程度ボリュームをもった集団を想定しているということである。そして どちらの〈表象〉にも結び付けられているのがビデオというメディアなのである。
  2. 先行研究と分析視覚
    1. おたく/オタクをめぐる先行研究
      1. ここで批評的/アカデミックという区分自体が意味を持つのであろうかという 問題はあるが,ここで両者の特徵というものを便宜的に記述しておくとするなら ば,それは批評というものはおたく/オタクというものを分析するというよりは 戦略的に書き換えるような志向性を持った言説であるということができる
      2. これに対しでもう一つの代表的なアプローチとしてオタク的な共同體に対する ファンダム研究の領域をあげることができる。
        第一の問題点としてあげることができるのが,そ のフィールドがおたくの実態、であるのかという問題である。ただ,この点に関し てはそもそもおたくというものが可らかの実態を持って存在していると た場合には決して避けることの出来ない反論ではあるだろう。むしろ問題にすべ きなのはこの反論のさけられなさの方である。
        もうーつ考えなければならないの は,仮に実態としてのおたく/オタクがそのフィールドと等号を結びつけられた としても,そこで検討されているフィールドというものはおたく/オタクという 言葉の持っている歴史性に対して言及することができないという問題がある.こ のことはその反駁したおたく橡というものが時代に合わなくなったから違うもの になったのか,もともとその診断が誤りであったのかということを問題化できな し
      3. 本論で試みる位置取りと言うのは「言説としてのおたく」と「実態としてのお たく Jという二項対立的な立場の片側だけを見ることだけでは見ることの出来な い水準の分析をするということを試みる。
    2. 理論的分析視角(キットラーとフーコーの議論から) 
      こうしたイメージを考える上で重要になるのがその特定の消費者像の構築に関 してだ。ここで注目するべきなのは,岡田の指摘するオタクというものの誕生に 重要な意味を持つというアニメ雑誌とビデオというこつのメディアである。本論 ではその二つのメディアがおたく/オタク像の形成にいかなる意味を持ったのか という三つの変数について考えることにする 
      1. 本論での課題はテクノロジーとテクノロジーの馴致というそれぞれ異なった性 質の二つのメディア間の「かかわり Jの向こう側に析出されていく「汚辱に塗れ た人々 jとしての「消費主体としてのオタク像」のイメージが立ち現われていく 様を描き出すことにある。
    3. 分析対象と問いの設定
      1. オタク向けアニメという ものは(1)オタク的な消費者層がイメージとしてある程度持つことが形成されてお り(2)そのオタク的な消費者麗が好むようなアニメがある程度のボリュームを持っ て形成されたというこ段階の状況が必要となるということである。そしてこの状 況ができあがったのが80年代ごろであったと論じたうえでその閉塞を乗り越えていく可能性として庵野秀明の「新世紀エヴァンゲリオン」を評催するという論文 となっている。
      2.  「オタク向けアニメ」/ 「子ども向けアニメ」と名指されうるコードとそれと 結びつけられた消費者像がいかにして投稿欄やアニメ雑誌上に浮かび上がってき たのかということを問題イとする。そこでおたく/オタクと名指されうるイメージ の源流がいかにアニメ雑誌上に表象されてきたのかということをメディアとの 「かかわり j とともに論じていきたい。
  3. ビデオとアニメ雑誌の「かかわり」
    1. 新たな 「アニメファン」をめぐる混乱
      初期のアニメージュのターゲットの定まらなさというのは一体どのようなもの であったのだろうか?
      ここで言われているアニメファンというのはいわゆるヤマト以降に爆発的に増 えたものであり,その実態というものを掘めていなかったので「最近アニメのフ ァンJになった人々に対して教育的な意図のある記事がいくつもあったのだ。そ の捕まえられなさを象徴するのが初期アニメージュの読者械における対立軸であるということができるだろう O そのこ項対立に関して次節では論じていくことに したい
    2. 従来のアニメファン/ミーハーなアニメブーム以降のファン
      従来のオタク論をめぐる議論においてオタクというものを大 量に生み出したという起点として語られる 宇宙戦艦ヤマト であるが,当時に おいてはむしろアニメブームできたユーザーというのがむしろ「ミーハー」なも のとして位置づけられていたということである。
      ここでの対立軸としてしばしば持ち出される,最近のアニメファンやアニメは f動き Jを軽視しているという言ー説は今を嘆いているようでありながら,実際に 仕掛けているのは,告分はこんなアニメを消費してきたという 差異化のゲーム である しかも,この差異化は「古くからアニメを見てきたj というアーリーア ダプターの慌が「アニメブーム以降jのラガードに対して仕按けたゲームである

      では こうした対立の構造というのが安定fとするく条杵〉とは純だろうか。それはアニ メというものが,一般のユーザーにとっては一度見逃したものはもう見返すこと ができないというものとしてあったということである O その〈いま,ここ〉でし か見られない構造というものが解決するためには,あるメディアの;誕生を詩=たね ばならず,そのメディアに対する欲望というものは次第に高まっていくことにな る。それがピデオである O
    3. ビデオの普及状況に関して
      調印が言う近代おたくというものの誕生において,決定的な影響を与えたとい うのは家庭用ピデオである。市販の家庭用ビデオとして初めて出てきたのは76年 のパナソニックの VX-2000であるとされている。中でも盛期的な機教が発光さ れたのは, 1980:年7丹になってからである O その当時:のビデオというのは,館段 にして30万円前後であり,当時の中学生・高校生というものが容易に手に入るよ うなものではなかったといえる。実際にアニメージュが創刊された当時のビデオ 普及率は決して高いものであるとは言えなかった。

    4. 「テレビを録る」ということの欲望をめぐって
      欲望を裏付けるものとして実際にアニメをとることに対する欲望の高まりを見 ることができる事例がある
      このようにアニメの写真やカセットテープを録ることはかなりメジャーな行為 として見られていたようである O そのことを見るうえで象徴的なのが1983年 6月 の投稿欄の投稿である 
      1. 近頃ビデオの所有率が高くなり,アニメのビデオソフトも続々と販売され る時代が来たというわけです。そこでぼくは,いままで集めた伝言板〈貸し てください〉のコーナーではどのくらいピデオが普及しているのか,またカ セットテープとの比較をしてみたいと思い調べてみました。
      2. この投稿者の集計ではカセットが149本であり,ビデオテープが108本(うち V H S 59ベータ 26その他・両方23) ということであった。もちろん,このことが統 計上何らかの意味を持つのではない 
        1. ピデオというものが読者檎に登場す るのが81年になってからのことであるので, (普及率〉などというものを知るべ くもない。
        2. ここで前提とされていることが二つあるのである
          1. 第一にカセットテ )プよりもビデオに肉薄しているということが驚くべきこととして受け取られて いるということである o
          2. もう一つはピデオ とカセットを比較できるという感覚についてである 
             この比較が成り立つという ことは前者のカセットがビデオのオルタナティブ的な消費行動であると捉えるこ とがある程度メジャーであったということである
  4. 「おたく/オタク」イメージの形成
    1. 「子供向けアニメ/オタク向けアニメ Jというコードの分化
      東の言うようなオタク向けの80年代アニメの成立というのが意識されるように なるのは一体いつごろになってからなのであろうか。それは子ども向けとはズレ た,消費層というものを意識するようになってからである O それがコンテンツレ ベルで、最も初めに現われたのはガンダムのテレビシリーズを終えたあとの富野監 督らがイデオンで初めから"中高生向け"を押し出して展開したというところに見出すことができるだろう
    2. コストの制限によるセレクション
      ピデオの普及期においてはテレビをビデオに録るということは非常に大きなコ ストであるということは先述したとおりである
      「そうしてまで見たいアニメ Jというものは必然的にある程度一話完結的なも のよりはストーリー性の大きな SFものなどが選ばれる傾向になるのである O こ うした視聴行動を前提として繰り返しみたり,アニメ誌で設定を確認することが 可能であるということを前提として作られるようなアニメが現われはじめること になる O
    3. 「おたく/オタク的消費の仕方」の誕生 
      このような細部の拡大というものもビデオの普及によって成立しており, I見 方jというものに注告が集まったのはピデオによってであるということができる o そこではアニメーターはしばしば役者と表現されるようになりつつあるのであ る。そしてそのアニメは咲{象が保存できないときにはこうした視聴行動というの は原理的に不可能であったのである。
      その中高生アニメと子ども向けアニメというのが十分に分化してしまったあと にはその「何を見るのかj という対立軸ではなく「どうみるのかj ということで 差異を際立たせようという主体像がアニメージュ仁に表象されることになったの である
  5. 「汚辱に塗れた人々」と「おたく/オタク」という主体像 
    ここで描き出したイメージが"おたく"というイメージの全体性と いうわけではない。こうしたイメージが中森の"おたく" という名付けを持って 地のイメージとともにより大きな「おたく Jという消設主体識という一つのイメ ージを形づくっていくことになるのである O
    そして一変外部に解き放たれたイメ ージは諮費社会とかかわることになる。また別のメディアとの「かかわり Jの中 で記述されることが要請される O 本誌で扱ったのはその外部に解き放たれる 夜前 の一つの消費主体のイメージが立ち現れてくる瞬間に掬してなのである O

我覺得這篇文章有哪些重點?或是我的心得?
本論で注目するのは創刊号からおたくという言葉が初めて誕生するまでの時期 のアニメ雑誌"アニメージュ"五年分を分析の対象として設定することにした い。

該文以動畫雜誌中關於錄影帶的討論,形構出一個御宅的動畫消費方式
雖然我不知道這要怎麼跟"汚辱に塗れた人"連結就是了

2020年11月23日 星期一

〈「純粋な関係性」と「自閉」 ――「同人界」におけるオタクの活動の分析から――七邊信重〉

  1. 「純粋な関係性」の困難とオタク的生き方
    団塊世代や新人類世代の若者と、団塊ジュニア世代 以降の若者とでは、大きな違いがみられる。前者は、身近な関係への所属とは別に、世代文化 との同一化や差異化によって、自己を確認する ことができた。一方後者の多くは、同世代の他 者の視線を気にしながら連帯/競争することに 倦み疲れ、身近な関係に閉じこもっている
    1. 純粋な関係性
      伝統的絆や世代文化か ら離脱して自らの意思にもとづいて仲間や恋人 との関係を築いていく若者たちの一部は、この 関係から安心や満足を得ている

      この構造的特徴により、「純粋な関係 性」を結ぶ者は次の 2 つの問題に直面しやすい
      1. 関係解消の不安
        こうした不安は、ときに仲 間や恋人への衝動強迫的な執着(関係嗜癖)を もたらすが、そうした執着は長期的安心を与え てくれない
      2. 関係構築のための負担が もたらす不満
        「純粋な関係性」を維 持するためには、この関係性を能動的に構築し ていく努力が常に要求される。これを負担と感 じる者は、関係から十分な満足を得ることがで きなくなってしまう
    2. ギデンズは「純粋な関 係性」の特徴として次のものを挙げている。
      1. 社会的・経済的生活の外的諸条件から浮遊している。
      2. 当事者の自発的な意思によって結ばれる。
      3. その関係が満足を与える限り続けられる。
      4. 親族関係や地域共同体等に代わり、個人に情緒的な安心や満足をもたらす。
    3. オタク
      若者研究でも、現実の対人コミュ ニケーションを徹底的に拒絶して虚構世界に 生きる若者として説明されている。また、一人でいることが多いオタクた ちは、一般の若者に比べてさみしい孤独な生を 送っているとイメージされ、貧乏、無職、恋愛 に疎いといった語彙で説明されることも多い
  2. オタクたちの「同人活動」とその概略
    1. 事例――「同人活動」
      本稿はこの「同人活動」を事例として選び、こ れを分析することを通してオタクたちの活動と 関係性の特徴を明らかにすることにしたい。
    2. 同人活動の概略
      1. このように同人誌即売会でパロディが 突出していった理由は
        1. 第 1 に、1980 年代に商業出版があらゆるマンガ表現を許容していく なかで、「同人界」でしか成立しないパロディ が同人作家や一般客の人気テーマとなったため で あ り
        2. 第 2 に、 パロディが既存の物語の設定を流用して製作で き一般客にも手に取ってもらいやすいため、同 人作家がこぞってこれを描いたためである。そ して、このパロディというテーマを同人界が手 にしたことは、ここを他から区別される相対的 に自律した場として成立させることになった
  3.  先行研究
    1. 先行研究①――若者研究
      1. 先行研究は次の 2 つのオタク像を提示してきた ということができる
        1. 1 つ目のオタク像は、オタクと対人領域に関 するものであり、「オタクは社交能力が低いた め、他者とのコミュニケーションを完全に拒 絶するか、特定のコミュニケーションを拒絶 する」というものである。
        2. 2 つ目のオタク像は、オタクと個人領域に関 するものであり、「オタクは、自分の世界に逃 避し閉じこもっている(自閉している)」とい うものである。
      2. 本来であれば、上記のオタク像が妥当であ ることを主張するためには、先行研究の説明から抽出される、
        1. オタクは関係性全般を拒絶している
        2. オタクは情緒的な関係性を拒絶している。
        3. オタクは個室での活動によって孤独に情緒 的欲望を満たしている。
    2. 先行研究②――同人作家研究
      先行研究に共通 する次の 2 点である。
      第 1 に、同人作家をメ ディア・テクストの「受け手」とみなしている こと
      第 2 に、その「読み」の独自性・能動 性を明らかにするために、スチュアート・ホー ルの「エンコーディング/デ コーディング」モデルを援用していること、こ れである。
      1. スチュアート・ホー ルの「エンコーディング/デ コーディング」モデル
        ホールは、マス・メディアが送るメッセー ジが送り手の意図通りには必ずしも受け手に伝 わらないことを指摘する
        1. 送り手はメッセージ を「こう読むべきだ」という「優先的」コード を用いて記号化(エンコーディング)するが、 受け手はこのメッセージを比較的自律的に解読 (デコーディング)し、「多様な読み」をおこな うことができる。「多様な読み」とは、a)送り 手が受け手を導こうとする読みである「優先的 な読み」、b)受け手がおこなう独自の読みであ る「対抗的な読み」、c)全体的には「優先的な 読み」を認めつつ個別的なレベルで独自の読み を試みる「交渉的な読み」、である
    3. 「デコーディング/エンコーディング」 連鎖モデル
      「情報」がデコーディングされて受け手なり の「意味」が認識されると情報伝達は終わるがネットワークの形成過程では、情報の「受け手」 が新しい情報の「送り手」になるステップが考 えられる。受け手が「交渉的/対抗的」な読み によって得た情報の「意味」は、もとの意味と は違ったものであるため、この「意味」をエン コーディングして生まれるアウトプットも「(新 しい)情報」と呼ぶことができる6。この情報 を「内生情報」、もとのメディア・テクストを「外 生情報」という


  4. 調査方法
  5. 分析
    1. 対人領域
      命題①
      同人作 家や一般客は、関係性を拒絶するどころか、同 人活動をとおして、仲間との対面的・直接的な 交流をごく日常的におこなっている。つまり、 命題①は妥当ではない。
      命題②
      実際多くの者たちが、同 人誌即売会の魅力をそのような情緒的満足をも たらしてくれる関係を築くことができる点に見いだしている 
    2. 個人領域
      命題③
      同人作家たちが物語を作るのはなぜか。ひとつ の理由として、物語作りそれ自体の楽しさや満 足感が挙げられる。たとえば C は、マンガを描 くのが好きだから同人誌を描いていると説明す る。
      。彼らは、自分が創った物語を喜んでくれ る読者とのつながりを感じることによっても満 足を得ており、そうした満足感が創作の動機に なっている
  6. 考察
    1. 「純粋な関係性」としてのオタクたち のつながり
      それでは、従来見落されてきたため理論的考 察がほとんど蓄積されていない、オタクたちの 対面的・直接的・想像的な関係を、どのように 理解すればよいだろうか。本稿は、ギデンズの 「純粋な関係性」概念が、このつながりの個別 性を理解するための有効な視点を与えてくれる と主張したい。
      1. 同人作家や一般客たちが仲間と築いている関 係は、制度的基盤の支えがないところで(ⅰ)、 個人の自発的な意思によって結ばれ(ⅱ)、そ れが互いに満足をもたらす限り続けられ(ⅲ)、 それへのコミットメントが情緒的な安心や満 足、自己の存在の意味をもたらしてくれる(ⅳ) 関係性である。
      2. 「純粋な関係性」は、近代社会における時空間 の拡大化と情報通信などの抽象的システムの発 達によって、たとえ距離を隔てても成立するこ とができるからである
    2. 「自閉」的な趣味活動がもたらす「純 粋な関係性」
      こうした満足感の高さの理由は、オタクたち の間の「純粋な関係性」と「自閉」のバラン スのなかに見いだすことができる。オタクたち は、アニメやゲーム、あるいは同人誌といった 「外生情報」を能動的に読解し、その「読み」 から内生情報を創出するという、「自閉」的な 趣味活動から得られる満足感を重視しているた め、他者との関係に過剰な期待をかけることが ない。ゆえに関係解消にもさほどショックを受 けることも執着することもないのだと考えられ る。

      オタクたちの「自閉」的な趣味 活動は、「純粋な関係性」が内包する「関係解 消の不安」と「関係構築のための負担がもた らす不満」という問題を解決し、「純粋な関係 性」から高い満足感を獲得することを可能にさ せている。個人空間は、関係性を謳歌するため の必要条件なのである
    3. 「純粋な関係性」がもたらす「自閉」 的な趣味活動
      オタクたちが安心し て個室での「自閉」的な趣味活動に励むことが できるのは、自分が所有し創出する情報が、仲 間たちに有意味なものとして受け取ってもらえ るとあてにできるからである
      言いかえれば、「自閉」的な 趣味活動と「純粋な関係性」は、循環的に互い を創出しているのである(「純粋な関係性」⇔「自 閉」的な趣味活動)。
  7. 結論
    1. オタクたちは、「純粋な関係性」を築き、そこから安心と満足を得ている。
    2. オタクたちの「純粋な関係性」は、「自閉」的な趣味活動が創出する情報を媒介とし て築かれている。 
    3. オタクたちの「純粋な関係性」は、彼らが「自閉」的な趣味活動を大切にしてい るために、「関係解消の不安」と「関係構築のための負担がもたらす不満」とい う 2 つの問題を免れている。
    4. オタクたちの「自閉」的な趣味活動を意味づけ、動機づけているのは、「純粋な 関係性」である。
    5. オタクたちが生活に満足しているのは、「純粋な関係性」と「自閉」的な趣味活 動の好循環のためである。
    6. 今後の課題
      1. オタクの自 己アイデンティティとその活動との関係やオタ ク・サブカルチャー内の多様性といった問題
      2. オタクの関係性と個室での活動との 結びつきに関する大きな図式を提示すること
      3. パロディの製作過程、オ タクたちの対面的関係とメディア媒介的関係の 相違と結びつき、「自閉」的活動における満足 感と「純粋な関係性」における満足感との相違 といった個々の論点を詳細に分析すること

覺得這篇文章想要討論什麼?

藉由田野的方式,提出一份オタク活動與建立關係的方式,並分析其內涵

我覺得這篇文章有哪些重點?或是我的心得?
我覺得找少數幾個人好像代表性不太夠,如果再多個問卷調查大概不錯
反正文中描繪的那套關係建立的方式,架構也滿完整的

2020年11月18日 星期三

〈Opening the Black Box of the 1989 Otaku Discourse-Björn-Ole Kamm〉

  1. Introduction: Assembling otaku
    In this chapter, I will show how both advocates for and critics of otaku were very much entangled and co-produced a distinct way of making truth claims about otaku in 1989 and 1990, which is still the prevailing ‘mode of ordering’.
    And answer the following questions: Which elements of the network ‘mass media’ made the connection between Miyazaki and otaku? Which actors called out misrepresentations and black-boxed the murder, media and the relation between the two?
  2. Point of entry: Qualitative content analysis
    1. Qualitative content
      Qualitative content or data analysis is not interested in retrieving and reconstructing supposed or hidden meanings, but rather is an evaluation strategy without a priori formulated theoretical criteria, which would be typical for quantitative methods
  3. Otaku and the mass media
    The first question I ask is thus how the communicators (journalists) came to know the term otaku and what connections they drew between Miyazaki Tsutomu and the term.
     In most cases of relating the narrative of otaku bashing, the columnist Nakamori Akio coined the term otaku in this small-scale lolicon magazine in 1983. How was the term then transferred from a niche-market magazine to ‘the mass media’?

    The journalists coerced the father to open his son’s room and, in so doing, he also inadvertently opened the door to the answer that the mass media would provide (at least according to the standard way of telling the history of otaku: Miyazaki did this because he was an otaku. 
    During the trial, Miyazaki’s room and his video collection would play their part in attempts to explain his behaviour and mental state
  4. Tabloids and the Miyazaki reserve troops
    Until 17 August 1989, the use of otaku (either in hiragana or katakana) was limited to a form of address (‘you’), as is still common in certain contexts.Ōtsuka’s stance was republished in an article in Asahi on 24 August 1989.15 This is the first and only article in Asahi in 1989 in which the term otaku was used in this way. Yomiuri published three articles using otaku in the same year. The use of the term in both newspapers in conjunction with Miyazaki remained limited

    the term Miyazaki-yobigun on TV, it does not appear in print before 5 September, when the phrase was picked up in a Yomiuri column not by a journalist, but rather by the manga critic and playwright Takatori Ei who debates if Miyazaki was a symbol of the younger generations or an outcast even among otaku.
    So, in 1989 the child murderer Miyazaki was without a doubt of interest. However, even more newsworthy that year was the new value-added tax: even from August to September, directly after Miyazaki’s arrest, Nikkan Gendai had more front pages on the recently introduced tax than on him. In general, the tabloids had lost interest by September. Journals and magazines, on the other hand, had time to prepare and took over in October. Manga artists, critics, editors and media professionals would crystallize as the most vocal group in condemning or explaining Miyazaki.
  5. Managing otaku
    Ōtsuka did this on several occasions in newspapers,41 but also in his own writings, which were published in journals as well as books (Ōtsuka, 1989b; Ōtsuka and Nakamori, 1989a, 1989b). As one important reason for his media engagement, Ōtsuka points to the magazines he saw in pictures of Miyazaki’s room, which included back issues of the lolicon magazine that he edited (Ōtsuka, 2004, p. 319). The objects – books, magazines and videos – in Miyazaki’s room enrolled commentators and established the network of people and ideas that should constitute the otaku discourse.

    Ōtsuka’s urge to defend him was born from the assumption that the mass media and police were only looking for a scapegoat and found a likely suspect in the horror movie collector. What put him off was how the media also wallowed in the gory details of the case, fabricating ‘narratively fitting’ facts and turning the incident into a horror movie in itself and Miyazaki into an alien
    Ōtsuka, less so Nakamori, sees a need to stand up for their generation, who were brought up in a time of media saturation (manga and anime, later games) and material affluence, but without father figures. This discourse mirrored the ‘societal’ explanations above and called the 1980s the ‘decade of boys’ crimes’ , which in their view resulted from parents treating their children as tools for the fulfilment of their own dreams. Thus, Miyazaki is a product of the post-war era
  6. Establishing otaku
    A number of commentators declared Miyazaki a symbol of the times,49 even though they disagreed on what he actually symbolized. While the priming effect of violent media content was an issue, the trial proceedings and the strategy of the lawyers focused on family problems and bullying.50 For the jurists, and also some journalists, the otaku issue was not the main point of debate, and the ‘flight from reality’ was more of a symptom. Contrastingly and important to note, literary critics, authors, manga artists and editors intensively discussed the idea of a link between Miyazaki and otaku and the question of whether his crimes resulted from media use.

    a first gesture in most scholarly or critical treatises on otaku or Japanese popular media remains this self-declaration, self-positivisation, which then leads to the claim of offering a better understanding. Through the network of videotapes in Miyazaki’s room, his lawyers’ attempts to enroll specialists, and critics’ attempts to capture public attention, the question of ‘who is an otaku’ became a question of managing otaku culture by establishing the only ‘real’ otaku position describable within the discourse – that is, the position of denying otaku as antisocial, which first needs to declare otaku antisocial to make sense. In this way, critics such as Ōtsuka made a connection between Miyazaki and otaku even as they denied it.
  7. Conclusion: Recursive modes of ordering 
    While journalists and jurists debated links between the crimes and the media found in Miyazaki’s room, manga and anime critics and producers, those who know better, gave them the key term for this controversy: before Ōtsuka used otaku in his discussion of Miyazaki and the wrong impression of otaku, or Takatori mused about Miyazaki and the otaku-zoku, no mainstream journalists had used the term in this way. Ōtsuka and others are the ones that made the connection.

    One of the major aims of this chapter has been to show that the rhetorical creation of single entities (for example, otaku culture) or single-point actors (‘the mass media’) out of heterogeneous and diverse networks does not bear much explanatory value
    The involved actors are very much entangled, which complicates the black-and-white picture of ‘the stereotyped’ (the driven) versus ‘the mass media’ (the drivers) – not to forget the videos and magazines that enrolled so many other actors, ‘drivers’ and ‘driven’ alike

覺得這篇文章想要討論什麼?
作者試圖對OTAKU的形象發展,提供一個紛雜、多元、交互的圖像,撇除過往單一、單向、施予的推測。
最終,作者認為給予OTAKU此形象的媒體,與試圖辯護的御宅批評家之間,共同鑄造了OTAKU的形象,畢竟在批評家出聲之前,OTAKU與宮崎勤的關聯還僅停留在娛樂雜誌上而已。

我覺得這篇文章有哪些重點?或是我的心得?
我覺得這篇的研究對我的專題會有幫助,雖然我討論的是前期OTAKU形象如何與犯罪勾搭,但這一篇算是後期,OTAKU犯罪形象如何為新聞媒體廣傳,進而留存於社會上。
我自己比較不滿的是,為何不打日文阿,偏要翻成英文,這樣找資料很麻煩阿,不知道這本是有英文翻譯還是只有日文原文。不然其實這篇的引用跟資料來源都滿豐富的。

2020年11月9日 星期一

〈「代弁者」としてのオタク語り ――1980 - 1990 年代の批評的言説を中心として――永田大輔〉

  1. 代弁者
    ここでいう代弁者としての言論の定義として本稿が着目するのは、
    (1)誰かの代わりに何かを言うと いう形式をとり、
    (2)その権利を持つのは当事者に近いものという性質を持ち、
    (3)その際に代弁され ている集団の側こそが重要になるというものである。
  2. 問題設定
    1. 当事者としての代弁者
      社会問題として 問題化する以上、当事者として問題を提起して もそのことが自己だけの問題に限られなくなる という点で、「当事者性」を経由した「代弁」 というものがありえるだろう。このように「当 事者」と「代弁」が結びつくこと自体はそう有 りえないことではない
    2. オタク語りの「閉塞」
      本稿ではむしろ、東が「閉塞」 と述べるような状況の中から、どのような言論 が展開されたのかを見ることに関心がある。つ まり、外在的な説明を与件としながら、それに 対し「当事者性」と「代弁者性」を短絡させ たような言論が、どのような文脈の下でなさ れていたのかを問いたいのである
      本稿では、 1989 年以降にあらわれたこの特殊な言論の形 式を取扱い、その個々の場面でどのような達成がなされようとしているのかに着目する
  3.  先行研究と分析視角
    本稿ではオタクをめぐる内容の変遷で はなく、オタクを語る際に「どのような立場」 で「どのような資格によって」語ろうとするの かという観点に焦点を当てることになる。
    1. オタクをめぐる研究状況
      1. 宮台真司
        宮台真司の議論では、オタクを「コギャル」「新 人類」と対置する形で議論し、その歴史的性質 が強調された
      2. 大澤真幸
        大澤は、彼 の理想の時代、虚構の時代、不可能性の時代と いう時代区分をめぐる議論の中で、虚構の時代 という時代類型の最も徴候的な人物像として オタクというカテゴリーを挙げている
      3. 團康晃
        團の議論 は本稿の重要な先行研究となる
        しかし、團がいうような「ぼくら」として オタクというカテゴリーを大塚が運用したという議論には留保がいる。
        本稿では、むしろ「代 弁者」というキーワードに定位しながら、どの ように「世代全般としての共感」と「オタクと いう集団との結びつけ」という一見矛盾する話 法が共存して展開されていったのかということ を見ていく。 
    2. 本研究の分析視角
      本稿は、1980 年代から 90 年代の批評的言 論を分析の俎上に載せる。その際に、本稿では 「当事者として代弁する」という実践に着目す ると述べてきた。
      1. 「代表者」ではなくて「代 弁者」という言葉を本稿で選択する
        一般的に「代表者」という語は、 その分野にかかわる決定に携わり何らかの主張 を行う主体というイメージを想起させる。また、そこで「オタク」の何かを代表するという ときには、それは集団としての代表であり、「代表者」の側が何を主張するのかが重要になり、 その「代表者」の側の語りこそが意味を持つ。
        それに対して「代弁者」の場合には、その代 弁される集団に焦点があたる。つまり、いかな る手続きを以て、誰の代弁をしようとするのか が問題となる。
  4. 1989 年以前の「神話」
    こうした状況は 1989 年の宮崎事件を契機としてマスコミでの 「おたく」への言及が蓄積されるようになって 以降大きく変容する。それでは、外在的な「お たく」語りが蓄積されていくなかで、本稿が問 題化する「当事者として代弁する」言論はどの ように展開されたのか
  5. 大塚英志の言論と拡張していくカテゴ リー
    1. 『オタクの本』と『M の世代』-反マスコミとは異なる話法
      一般に、オタクをめぐる言論状況は、1989 年の宮崎事件以降変化したとされる。そうした 状況の中で重要な影響力を持った本として、そ の 1989 年に刊行された 2 冊の本がある。『別 冊宝島 おたくの本』と『M の世代』である
      『おたくの本』が反マスメ ディアという話法をとりながらもマスメディア 的な論理と共振してしまっているように見える のに対し、『M の世代 』では、対談者の大塚 英志が「代弁者」というオタク語りの特異な話 法を用い、独自の達成を行ったことに着目す る。
      1. M の世代
        ここでは、「代弁したところで何の意味もな いかもしれないが」「ぼくが生きてきた不毛と つながっているとわかった以上、そうする他に ないではないか」というように、まさに本稿が 問題としている当事者性と接続した奇妙な代弁 者性が表明されている。『M の世代』はこの「当 事者として代弁しなければならない」という感 覚を基点としている

         『M の世代』において、大塚の力点が、「内 在的に/実存としてオタクを語る」ことにおか れていること、それによって M 君について「当 事者」として語る資格を確保されていること は、既に確認したとおりである。ただ、それが あくまで「代弁」にとどまるのは、ときによっ て M 君と自身との間に、微妙な差異が確認さ れているからである。「真のおたく」なるもの を想定し、「ふりをしている」「すがっている」 という表現によって、M 君との距離感を確認 している。ここで「真のおたく」とは一体どの ような存在なのかは重要ではない。むしろ、「真 のおたく」から M 君を距離化することの意味 を考える必要がある
    2. 「ぼく」が語るべき物語-『コミュニ ケーション不全症候群』をめぐって
      中島梓の『コミュニケーション不全症候群』 は、高度消費社会の産物として、オタクを語る 枠組みを提示したという点で、ある意味では、 『おたくの本』以上に、決定的な影響力を持っ たと考えることができる
      1. コミュニ ケーション不全症候群
        中島は、現代の様々な社会 病理に通底するものの一つとして捉えている。 その最大の特徴として中島が上げるのが、「他 者への想像力の欠如」である。それは高度資本 主義社会への適応のための不適応であり、「過 剰適応」という性質をもつものであるという。
      2. 中島が捉 えた「おタク」の特性である
        1)現実に うまくなじむことができず「代償」としてフ ィクションに自分の居場所をつくり出し、
        2) 代償が提供されるために「一応の適応」をして いるが内面に「根源的な不適応」を秘めている ことをオタクの特性として診断を加えている
      3. 著 者である中島がオタクに対してとった距離である
        著者である中島とオタクとの距離につ いていえば、微妙な設定がなされている。『コ ミュニケーション不全症候群』というテクスト は全体としては、当事者性を強く前提とした議 論と評価できる。「オタク」とともに症例とし て取りあげられている「ダイエット症候群」や 「JUNE 症候群」については、女性である中島 自身の当事者性と連続するものとして捉えられ ており、そこでは自身も当事者と成りえた可能 性が想定されている。しかしながら、ことオタ クに限っていえば、「これらの青年」「一見単な る若者」という形で、距離を置いた記述に終始 するのである
  6. 更新される代弁とイメージの拡散―竹熊健太郎『私とハルマゲドン』
    竹熊のオタク論はオウム事件を受けて展開されたものである
    竹熊のオタク論が展開される『私とハルマゲ ドン』は、自己の個人史を振り返りながら、そ こで出会った「オタク的な」人たちと自分との 影響関係を説明していく
    1. 竹熊の 言論で重要なのは、彼がオウム真理教とどこま で距離をとれているかという問題や、彼の言論 が一貫しているかどうかということではない。 むしろ、オウム真理教と距離を取ろうとしつつ 行う彼の個人史の披露の仕方が、その都度の「オタク的な誰か」を媒介することなしには語られ ず、そしてその「オタク的な誰か」とオウムと 自己との三者の距離感が測定され直しているこ とが重要である

      その都度のオタクのイメージ はその代弁する側の属性によって変化してい く。そして、その結果オタクをめぐる多様なオ タク像が産出されつつ、それがしばしば「いじ められっ子」「インテリ」「大人になれない子供」 等のイメージがしやすい具体的なカテゴリーと 結び付けられ、「国鉄鉄民」や X 等の具体的な 人物の表象とも接続する。そして、オタクはこ こでは、「オウム的なものの処方箋」としても、 「オウム的なものとの同根性」としても語られ ることが可能になっているのである
  7. これまでの議論と今後の課題
    本稿では、オタクをめぐる語りの中に、外在 的で他者化を志向する語りが先行して存在する ことを与件とした上で、それに対立する自らを 内在的・実存的なものと位置づける語りが間歇 的に存在してきたことに着目した

    オタクをめぐるある種の批評的言論が いかに特異な形式を獲得し、その特異な形式に よって何が達成されるかはある程度明らかにで きたと考えられるが、この言論が実際にオタク をめぐる言論の中でどのような影響力を持ち、 どのような位置を獲得したかは別稿を立てて議 論がなされるべき課題である

覺得這篇文章想要討論什麼?
這一篇試著用一個"代弁者"的概念為主軸,去串起那些談論OTAKU內容,釐清他們如何在言論中保持與OTAKU的距離以及以怎樣的背景擔任代弁者

我覺得這篇文章有哪些重點?或是我的心得?
顯然,這一篇有一些前提的社會學概念是我要補充的,不然真的不是很懂

2020年11月8日 星期日

〈おたくをめぐる言説の構成 ――1983年~2005年サブカルチャー史――相田美穂〉

  1. はじめに
    1. おたく
      一定とは多くの場合,何かしらのおびただしい情報や物品を収集・ 所有・蓄積している人びとや,それらの行為そのものを意味するだろう。 本稿で言及する「おたく」という言葉は,その意味での「おたく」である
    2. 実態としてのおたく
      本稿では「実態としてのおたく」という語を,「おたく」と呼 ばれる文化や具体的な活動を指すものとして使用する
    3. 本稿が分析の対象とするのは,「実態としてのおたく」 ではなく,言説としての「おたく」=「おたく論」である
  2. 「おたく」というカテゴリーの誕生
    1. 「おたく」が熱中する文化と熱中の方向性に着目してみる。そこに は,その分野においての非当事者からみた場合,ある種の理解しがたさが つきまとう。
    2. 中森が「おたく」を外見的に特徴づけた要素を見よう
      まず,「おたく」が身につけている物である。それは,その時々で“魅力 的である”と認識されているものとはほど遠い。加えて,服飾以前の肉体 的魅力に欠ける存在として,中森は「おたく」を描写した。
    3. 「おたく」の性質・性格である
      「休み時間なんかも教室の中に閉じこもって,日陰でうじうじと将棋なん かに打ち興じてたりする奴ら」や「イワシ目の愚者になっちゃうおどおど した態度」という内向性によって特徴づけられる「おたく」の人物像を, 中森は提示した。
  3. 人格の問題としてのおたく
    1. M事件
      連続幼女誘拐殺人事件をめぐる一連の動きは,「おたく」というカテゴ リーに対して,以下の影響をもたらした。
      まず,「実態としてのおたく」は不問にされたまま,「おたく」は凶悪な 犯罪者のイメージと結びつけられた。そして,「おたく」というカテゴリー を社会問題化する言説によって「おたく」という言葉が一般化した。  
      そして「おたく」論は,この年に登場する
    2. 「アンバランスなスペシャリスト」
      85年の調査をふまえて宮台が91年に発表した論考では,「おたく」という カテゴリーが「~スペシャリスト」と結びつけられている。それは,同一 のクラスターに属する人びと以外からは,受容されがたい人物像でもある

      宮台による「おたく」論の焦点は,一定の文化類型と人 格類型の結びつきという考察にある。しかし,コミュニケーションの手が かり不足を「アンバランスなスペシャリスト」よりも深刻に抱えていると 思われる「ネクラ的ラガード」というクラスターの位置づけに宮台は触れ ていない。つまり,「オタク差別」において差別されているのが「おたく」 の人格類型であり,人格類型と文化類型は重なっているという宮台の論で は,より顕著に「おたく」の特徴を言い表していると思われる「ネクラ的 ラガード」のあり方が捉えられない。
      宮台の論は,「おたく」が文化類型により,一定の人格類型をもつとは言 い難いことを隠蔽しつつ,「おたく」を人格の問題として捉えようとする 態度を示唆していると言えよう。
    3. アイデンティティ形成におけるねじれ
      大澤による「おたく」論に言及する前に,大澤が消極的にせよ支持して いる「虚構と現実の区別がつかない」という言説について検討しておく。
      1. リアルとリアリティに
        リアルとは簡単にいえば「現実」を指す。リアリティとは,「現実らし さ」を現す。わたしたちはリアルを生きていると考えがちである。しかし, 同じ場所で同じ経験をしている者が,別個のリアリティを感じているとす れば,わたしたちがリアルだと認識しているものは,自分自身で意味づけ を行った結果立ち現れるひとつの認識である。それは,リアルではなく, リアリティと呼ばれるべきものである。
      2. Mの部屋もまた,まぎれもない現実として報道されたにもかかわ らず,その部屋にリアルを感じられなかった人びとが,Mを「虚構と現実 の区別がつかない」と評し,その言説にリアリティを感じたのだろうから。
      3. 大澤は,「おたく」を自己同一性(セルフアイデンティティ)の問 題として解く立場を取る。大澤によれば,「オタクにとっては,無意味な (ように見える)日常的な仕事とアニメなどへの没入の価値付けがまった く逆転している」からである。
        1. 自己同一性
          私が何者であるかということが,私自身によって決定可能 だということ,また,私が従うべき(広義の)規範が,(私自身にとって) 決定されている。
          1. 第一に,自己の模倣の対象になる他者=自己にとって好ましく,しかも 自分がそのようになれる他者が必要である。これを大澤は,「内在的な他者」 と名づけている。
          2. 第二に,「内在的な他者」の理想性を決定づける他者=「内在的な他者」 が理想的か否かを判断する規範を与える他者,つまり,大澤のいう「超越 的な他者」または「第三者の審級」が同時に要求される。
          3. この二種類の他者に同一化することで,自己同一性は構成されると,大 澤はいう。
            大澤は,「オタクにおいては,自己同一性(セルフアイデンティティ)を 規定する二種類の他者,すなわち超越的な他者(第三者の審級)と内在的な他者とが,極度に近接している」とする
    4. 社会化されない存在
      1. 浅羽は,Mが逮捕されたその年に,「おたく」論を発表している。
        その主張は以下の4点に集約される。
        1. おたくはアイデンティティの問題である。
          1. 浅羽は,おたくを,原「おたく」と二次的「おたく」に分類する。浅羽 の言う二次的「おたく」とは,初期の「おたく」(=原おたく)たちが商 品化した情報を享受するのみの「受動的なマニア」である。
        2. おたくは社会化されていない者である。
          1. 男性は就職により社会化の機会を得られやすい。同時に,社会 化した「おたく」は脱「おたく」していく。一方,女性「おたく」は就職 や結婚を経ても「おたく」的活動や人間関係を続ける。女性に限らず,職 場にアイデンティティを見つけられない者は,いつまでも「おたく」を続 けるしかない。それは「おたく」のアイデンティティの拠り所が「おたく」 的活動の他に見い出せないためであると,浅羽は分析している。
        3. 原「おたく」の発生は70年代である。
          初期の「おたく」たちが二十代となってクリエイター,プラン ナー,エディターとして,メディアの送り手の側に進出していった。これによ り,従来,「おたく」たちが同人誌などでサブカルチャーをベースに展開してき た活動,パロディや用語辞典や資料インデックスなどが,それ自体,雑誌や ムックの記事として商品化されるようになる。
          そしてその完成品を享受する膨大な二次的「おたく」が生じる。

          クリエイティビティのより低い若者たちのほうへ飛躍的に広がった裾野とも いうべき二次的「おたく」は,自ら主体的に情報の収集や整理や読み換えを試 行錯誤してゆくプロセスが弱いぶん,原「おたく」よりも知的クリエイティブ の能力の訓練に欠け,絶え間ない情報をただ享受するのみの受動的マニアへと レベルダウンする
        4. 3.の原因は世界が有機的リアリティを単なる情報と化したことに求め られる
      2. 浅羽が描いた「おたく」像をまとめよう。
        1. 第一には,「内向的」で「社会化」されない存在である。
        2. 第二には,マニ アックな知識を共有することによる同類意識の獲得から自己のアイデンティ ティを見出している
          かつ,その知識は一般には価値を認めらない種類の ものである
    5. 「コミュニケーション不全症候群」
      中島は,現代人のコミュニケーションの特徴を挙げ,「コミュニケーショ ン不全症候群」と名づける。
      1. それは端的にいうと,  
        1. 他人のことが考えられない,つまり想像力の欠如。
        2. 知合いになるとそれがまったく変ってしまう。つまり自分の視野に入っ てくる人間しか「人間」として認められない。 
        3. さまざまな不適応の形があるが,基本的にはそれはすべて人間関係に対 する適応過剰ないし適応不能(中略)として発現する。
      2. 中島に とって,コミュニケーション不全症候群は,「不適応という名の適応」である。
        そして,コミュニケーション不全症候群は,「ある とき一気に本来の不適応の形を噴出して,たとえば宮崎某の事件となり, あるいはもっと最終的な事件にこそならないが,そのかわり周囲の人間に とってはもっとも長続きする迷惑であるところのパラノイアとかおタクに なってゆく」
      3. 中島に特徴的なのは
        第一に,「おたく」とは現実から撤退し,居場所を 虚構の共有に求めたものであるということ。「人間関係よりも大切な関係性」 という一文は,その言い換えである。
        第二に,第一に挙げた特性はパーソ ナリティの問題であるということ。
        第三に,これらの特性は未成熟の証であり,成熟することが望ましい
      4. 中島が男性を「おたく」と定義し,女性に留保をつけたのは,性 別という指標を用いて,中島自身を「おたく」というカテゴリーの外側に 置こうする所作である。
    6. 「おたく」カテゴリーの齟齬
      ここまでの「おたく」論では主に,「おたく」とは,コミュニケーション や現実から撤退しているという主旨の言説をみてきた。その一方で,「お たく」は「ある特定の文化ではスペシャリスト」であるという認識も垣間 見える。それは,両立しないものではない
      1. 岡田の「おたく」論-「おたくが持つ三つの目」
        1. 「粋の目」は,「自分独自の視点で作品中に美を発見し,作者の成長を見 守り,楽しむ視点」
        2. 「匠の目」とは,「人の手によって順を追って作り上げられた作品を分解 して,その手法や工程,システムを読み取ろうとするエンジニアの目」
        3. 「通の目」は,あらゆるジャンルにおいて「人間ドラマ」を見つ けだし,「これを読み取り,楽しむ野次馬根性,ジャーナリスティックな視点」
        4. 「立派なオタク」
          立派なオタクはオタク知識をきちんと押さえていて,きちんと作品を鑑賞す る。当然これは,と目をかけているクリエイターの作品に関しては,お金を惜 しまない。逆に手を抜いた作品・職人に対しての評価は厳しい。これらの行動 は決して自分の為だけではない。クリエイターを育てるため,ひいてはオタク 文化全体に貢献するためでもある。そこのところをオタクたちは心得ている。
  4. おたく的消費社会論
    「おたく」はもはや特殊な存在として論じられるものでは なくなってきたといえる。高度消費社会への適応形態のひとつとして,「お たく」の消費行動が注目されることになったのである
    1. 物語消費論
      大塚は,人びとは物語りたいという欲求を持っていると主張する
      人びとはあらかじめ準備された物語の断片(=小さな物語)を収集し,それを積分して得られる大きな物語へとアクセスすることによっ て,物語りたいという欲求を満たす。
      1. 〈物語消費〉の特徴は,大塚自身のまとめによると,次の通りである。
        1. 〈物語ソフト〉ではなくモノないしはサービスが消費の直接あるいは見せか けの対象となる。
        2. そのモノ及びサービスは〈物語〉によって秩序づけられるかあるいは秩序づ けられるべく方向が与えられている
    2. データベース消費
       東は,現代社会を「大きな物語の失調」によって特徴づける。
      ここでいう「大きな物語の失調」とは,「伝統に支えられた「社会」 や「神」の大きさをうまく捉えることができ」ない状態を 指す。「おたく」における消費は,「大きな物語の失調」を,サブカル チャーで埋めることに向けられていると東は解く。
      1. 二次創作
        二次創作とは,「原作の設定をデータベースまで還元し,そこから任意に 抽出されたシミュラークルとして提示される作品」である。 二次創作はオリジナルではない,という意味でどれもが等価である
        作品という意味では,二次創作も原作と呼ばれるオリジナル も,等価なのである。オリジナルの背後=深層に「設定」が存在する。「設 定」からは原作としての物語も引き出せれば,二次創作も作れるといった 具合である。東は,この現象を二重構造として捉えていく。
        1. 二重構造は,表層と深層から成る。表層には,作品(=原作,二次創作) といったシミュラークルが宿る。深層には,あらゆるシミュラークル(= 作品)を読み込む元になる「設定」であるデータベースが存在する。
      2. 「萌え」
        「萌え」とは,物語を持た ないままのキャラクターが,消費する側の自由な思い入れに従って,単独 で消費されるときの根源となる振る舞い――あるいは欲望――である。
         「萌え」の対象は完成されたキャラクターに限らない。萌えは,キャラク ターを構成するパーツのひとつに向けられることもある。逆に,ある特定 のパーツを備えているという理由で,あるキャラクターに「萌え」ること もありうる。東は,「萌え」を喚起するパーツを「萌え要素」と呼んでいる。 萌えの対象はある程度の人気不人気はあるにしろ,原則的には無限である
      3. 東の言に従えば,データベースとシミュラークルの二層構造や,「大きな 物語の失調」に晒されているのは,なにも「おたく」に限らない。現代社 会に生きるわたしたち皆が,同じ状況にある。
        その状況下で何を消費するのか,何に対して欲望するのかについて,「おたく」は,より自覚的であるというのが,東の「おたく」論である。
  5. 流行文化としてのおたく論
    1. 秋葉原に見るおたく文化の隆盛
      八〇年代までは,秋葉原は家電が中心の街だったという。 しかし,家電製品の購買層は郊外店の台頭によって秋葉原から去っていく ことになる。そこで,秋葉原はパソコンを主力商品とした街に変わってい く。それが90年初頭のことである。「パソコンをマニアックに好むような人 たちという,人格的な偏り」は,秋葉原にパソコンだけ でなく,ガレージキットという「おたく」趣味の商品を呼び込んで来る。 この変化は,1997年以降に現れる。
      「秋葉原のオタクの街への変貌が,あくまで需要が先行した,大企業な どの介在に因らない自然発生的なものだということ」, これを森川は「個室空間の都市への延長」と捉える。
    2. おたく的ポップアーチストの出現
      村上隆は現代美術家である。したがって村上による「おたく」に関する 言説は,言葉を使用した批評よりも,その作品や活動によって現される。 村上は,「おたく」的な意匠を意図的に取り入れた作品を数多く製作して いる。

      岡田や東の言葉のとおりに,村上による一連の作品が「文脈を押さえて いない」「おたく的な意匠をおたく的たらしめるデータベースをもたない」 ならば,村上の作品は「おたく」文化とは無関連のはずである。しかし, 「おたく」文化を評価する立場にある岡田や東が,わざわざ,村上の作品 に言及する理由はどこにあるのだろうか。村上の作品が現代美術の分野で 高い評価を受けているという事実に注目したい

      村上の見たおたく文化は,誇張されたファンタジーの世界で,細部にまで正確 な技術,黙示録的イメージ,情報テクノロジーや画像テクノロジー,商業,そ して芸術の前衛が出会う世界でもあります。日本の戦後史における未 解決の矛盾が日本のポップ・カルチャーとおたくを取り巻くサブカルチャーの 爆発的なコンテクストとなっていると本展で村上は主張するのです。

      村上の作品が「おたく」文化と呼びうるか否かについて,岡田や東らは 懐疑的である。しかし,村上の作品に認められる「おたく」的な意匠は, かつてのようなマイナーなイメージではない。村上の登場によって,「おた く」文化は,ポップアートの一ジャンルとして,海外において高い評価を 受けているのである。
  6. むすびにかえて 
    「おたく」論は,初期には「おたく」の人格,つまり,人物としての「お たく」を論じてきた。次に,「おたく」に見られる消費の仕方に論点が移った。現在は,「おたく」が作ったモノが論じられている
    サブカルチャーが一般的に認知された文化となったとき,その後,その サブカルチャーがたどる道は二つある。ひとつは,忘れ去れた過去のもの になること。もうひとつは,サブカルチャーからメインカルチャーへと評 価が変化することである

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介紹了各種關於おたく的討論

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雖然有些不是很懂,但基本上是一個很不錯的地圖

2020年11月5日 星期四

〈梅花餐:近代台灣筵席改革運動的興衰及其所涉及的「社交危機」-陳元朋〉

  1. 前言
    本文所要論述的「梅花餐」,又可稱作「梅花筵」或「梅花宴」, 這是一種出現於世紀 70 年代的筵席節約形式
    本文擬從三部分進行論述:首則論梅花餐的形成與推廣小史,次 則探究梅花餐何以不為人所喜的原由,最後再終之以思想、認知上的 探討;而描摹筵席改革所富涵的諸多社會政治意涵,則是本文的主要 旨趣。
  2. 梅花餐小史
    作為政令的一環,「梅花餐」的發想,最初是由中華民國「行政 院改善社會風氣專案小組」所提出的,研擬設計一種 「五菜一湯」或「六菜一湯」的「梅花餐」,以作為節約飲食的標準, 而其目的則在減少浪費,改善社會風氣
    1. 總體而言,80 年代初期,與「梅花餐」相涉的紀錄,毋寧是予人 熱烈之感。然而,就在這樣的氛圍裡,卻有少數被報導的事例,透露 完全相反的意向。
      例如,在 1982 年的 7 月 21 日,內政部曾邀約了七 十多位餐廳業者商討「梅花餐」政策的落實辦法,但這次會議實際只 有二十多人與會,且大多數業者都聲稱該運動對營利的負面影響極大
    2. 有關梅花餐運動推行失敗的報導,一直要到 1984 年才確鑿出現。這一年的 11 月 4 日,臺北市議員鄭貴夏在他的議會書 面質詢中指出,「梅花餐」這個名詞,已從「各大餐館、飯店中消失 了」,代之而起的是「一桌好幾萬元的酒席」。他並以此為例,批評 政府在推展政令運動時,總是虎頭蛇尾,無法讓新觀念、新做法深入 人心,以致「梅花餐」和「公筷母匙」、「中華新吃」、「禮貌運動」、 「排隊運動」一樣,即使推動了幾年,卻因為「習性」未改而終告失敗
  3. 悖離傳統筵席規格的梅花餐即其所衍生的社交危機
    名之為「梅花」的筵席改革運動,大抵在 20 世紀 80 年代中期之 後,官方就鮮少再投注心力。而當時序進入 90 年代,「梅花餐」這種 餐飲形式雖然依舊存在,但卻已經成為一種具有象徵意義的符號,特 別是那些需要對「簡樸」加以表態的情境
    1. 問題:
      問題在於:在菜量增加的前 提下,人們為何還會覺得五菜一湯沒面子?還有,為什麼「沒面子」 的解決辦法,會是「雙梅」、「三梅」這樣的變相?本文以為,這正 是前節所言「梅花餐」與既有飲食習慣不符的實質內在。因為,所有 的負面觀感與別闢蹊徑,都來自於那「五菜一湯」所欲改革的傳統筵 席。換言之,是「不像」(筵席)導致了沒面子;而在這樣的脈絡裡, 那些鑽漏洞的變相」,無疑是一種面向傳統的修正。
    2. 自清代以迄戰後初期的臺灣筵席,或許還是整個 華人筵席文化的縮影。那些以「大碗」、「中碗」、「小碗」、「豎 碟」、「點心」作為菜式計量單位的做法,除了在清代前期的《隨園 食單》中有所提及外,其在晚清也不乏類例,而且更為詳盡
      這也就是說,碗之大小,碟之數量,其實涉及的是筵席中的菜式組合, 這不僅是一種規矩,還是近世華人筵席的一種結構
    3. 在傳統華人筵席裡,那些以容器型式與大小裝盛並加以區分的饌 餚,其實還各自有其作用,除了食用以外, 這些結構與功能,其實還營造了一種社交的程序,以及人們對於「何謂筵席?」的共識。
      然而,「梅花餐」的形式, 卻無疑會顛覆所有這些人們習以為常的筵席規格
    4. 由於要象形梅花,所以全部的饌餚就有必要同 時上桌。換言之,原本筵席中那「一道道」順序而上的菜色,現在卻 變成了同時上桌。要知道,傳統筵席的上菜程序,本來就具有延展賓 客對酌時間的功能,而社交互動也因之得以加溫。現在,諸菜並陳, 但酒酣耳熱所帶來的人際交流卻反倒被壓縮了,因為一起上桌的菜會 涼,大夥還是趕緊吃飯為尚。這實際就是個吃飯的場合。 
  4. 寓禁的認知潛流與時代變遷下的道德焦慮
    1. 本文以為,1949 年以來,包含「梅花餐」在內的幾次具有宴會、 筵席改良意圖的運動,或許並不單純只是張繼高所說「上老階層」與 新生代之間的「代溝」而已。在關乎社會風氣改革的運動被熱烈開展 的時代裡,推動者們腦海裡的認知邏輯可能是深受傳統影響的。
    2. 這就 是 Jack Goody 所說的「潛流」:一種以否定、約束和禁欲主義為核心 的飲食判準。這位人類學家同時還提醒我們,這種體質的「潛流」,通常在社會急遽變遷的時期會被強力的表達,並被體現在對奢侈的抨 擊之中
      事實上,如果更進一步求考 80 年代初期部分「梅花餐」 襄贊者的言論內容,我們還可以發現,「潛流」不獨是傳統的延展, 它同時還反映了部分人士對於新時代的危機意識,就這個層面看來,由「梅花餐」所號召 的筵席尚儉改革,其實也可說是華人傳統飲食教誨在當代作用的產物
  5. 結論 
    20 世紀 80 年代,以「梅花」為名的筵席改革運動,最終是以失 敗做收的,各種因素何以會共構且造成失敗?卻仍 然有深掘探索的空間。本文因之以為,此中概有文化性的因素左右其 間。
    本文見到的文化性因素有二:其一是認知上的 潛流,其二是約定俗成的習慣。其中,前者是道德性的,它訴求的是 節儉,「上既行」而「下必效」是其執行面的邏輯理路,而「五菜一 湯」的「梅花餐」則是其當代產物。至於後者,則牽涉到傳統筵席的 鋪張格局,以及長久以來在這個格局下所醞釀的人際互動模式,還有 由這個模式所衍生的價值判準,凡此種種既是商家販賣的商品,也是 群眾意欲消費的對象

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70年代推行梅花餐失敗的文化性因素

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我自己覺得很好懂,把推行政策者背後的觀念理了一遍,也把受改革對象者的文化架構梳理一遍,然後整合作為梅花餐的歷史之中

〈恩典的滋味:由「芭比的盛宴」談食物與體悟〉蔡怡佳

  1. 食物與猶太-基督宗教
    無論是食物與宗教禁忌的關聯、共飲共食所表達的一體感、食物施捨所傳遞的友愛與奉獻精神,以及禁食所體現的棄絕世界、泯除罪惡的意義等,都傳達出食物與猶太基督宗教千絲萬縷的關係。食物是宗教認同得以建立的重要基礎,是宗教象徵的媒介,也是宗教實踐的重要場域。
    食物之所以能夠在宗教認同、象徵與實踐中扮演重要的媒介,與食物作為物之物性以及相關之感官經驗密不可分
    該文試圖論證,由小說文本與電影文本所開展之恩典的意涵不只是一種有意義的宗教概念,也不僅僅屬於教義或認知的範疇,而是一個藉著多重感官的身體經驗所獲得的體悟
    1. 討論的面向
      1. 身體經驗如何成為食物在聖俗對立之宗教系統中的分類基礎,如麥、酒所代表的禁慾,法國餐代表的塵世力量的誘惑
      2. 恩典如何藉著食物與身體感的交織來得到體悟
      3. 食物食用的身體經驗如何釋放舌與言的禁錮,使得哀悼的過程得以發生
  2. 恩典滋味的書寫
    芭比的盛宴是一則以感官的描繪與論說來鋪陳肉體/靈性、以及塵世/聖境之辨證的故事
  3. 禁欲倫理與感官享樂的對立
    倫理與感官價值的衝突在芭比晚宴的預備過程藉著食物的象徵達到高潮,信徒們的宣言-「我們要潔淨我們的唇舌,滌淨味覺帶來的種種歡愉或嫌惡,只讓舌頭做讚美與感恩的高尚之事」為這樣的衝突做了最好的說明
    如同Douglas所指出的,文化系統需要秩序,也必然經驗秩序的脆弱。當某個模糊、無法被歸類的事件發生時,社會或文化會出現幾種處理的方式,來鞏固原來的秩序,包括降低或控制其影響力、加強原先規範的定義、或是把危險性加諸於模糊事件。除了這些消極的手段之外,文化或社會有時也會認識到模糊事件潛在的轉化力量,而將其模糊意義的象徵運用於儀式中,如同詩或神話中的象徵一樣,由於指出原本不被看見的部分,而豐富或擴展了原本體系的意義。
    若將芭比的盛宴理解為給原先宗教體系帶來不安的模糊事件,循著Douglas的理解,作者對盛宴意義的鋪陳類似於文化或社會處理模糊事件的最後一種手段,也就是運用其轉化力量來重新豐富原來體系的意義
  4. 異味與啟示
    食物帶來味覺的歡愉,也邀請我們思考歡愉。芭比饗宴的意義也許不只在於味覺的歡愉,更是在認識到歡愉之易逝與不可測度中珍惜生命的美好。
  5. 滋味、言說與哀悼
    Rashkin主張"芭比的盛宴"是一則關於哀悼之禁錮以及釋放的故事,而釋放的過程則是藉著食物的準備與食用。換言之,食物作為超越的媒介,使得過往的失落得以吞嚥、消化以及言說。在這個意義之下,食物如同藥方,開展了一個哀悼的空間,使得恩典得以被體會、也使得心靈療癒得以發生。
    依循語言釋放這樣的角度來閱讀芭比的盛宴,我們看到作者在小說的鋪陳中不斷以言語禁錮或是失語這個意象來表達這種失落與缺憾。而"芭比的盛宴"顯示了失落的記憶如何化為美味可口的料理,過往失落也如何可以健康地被消化。
  6. 結論:「物」、「身體感」與「宗教研究」 
    本文以身體感的研究取向出發,討論"食物"與"身體感"交織所帶來的體悟經驗。經由這樣的途徑出發,身體不再是銘刻文本意義的載體,還是創生意義的重要來源
    以身體感研究的取向出發,我們可以問的是儀式中的身體經驗(飲食、跪拜、合揖頂禮、祈禱等)如何滋生宗教意涵
    從本文的脈絡來說,身體感取向的研究也不止是詮釋恩典之經典意義的身體面向,或為此意義加上一個感官經驗的註腳,而是企圖說明身體感如何帶來宗教概念(恩典)的體悟

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從芭比的盛宴談食物與身體經驗

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說實在,有很多複雜的東西,實在不是很懂
經由食物得到恩典,但這個恩典是甚麼?得到的過程?有些象徵的地方也許要在讀讀