- はじめに一一おたく/オタクという表象とビデオ
この奇妙な二人称がある人々をさす言葉としてマスメディ アに初めて登場するのは1983年のことであり,当時は平板名で「おたく」と されていた。
中森は,今までにあったマニアや熱狂的ファンやネクラ族といった言葉に対し て,より広く人々もしくは現象全体として名指す言葉としておたくという言葉を 選んだという。
ここで中森はこの特殊な二人称で呼び合う fキモイ」人々を「発見」したとい う。
その言葉のメジャー化というのは決してポジティブなものではなかった。その 取り上げられかたはある幼女連続殺人事件の容疑者となった当時26歳の男が,「お たく」的な趣味を持っていたということに注目が集まったというものである。そ の「趣味」と「危険な性的」帯好をもった殺人者というイメージが結びつく。こ れによりいわゆるモラル・パニックに近い状態になった。 - 宮崎事件
「性的倒錯=おたく=ビデ オ」というものを一本の線に結び付けてしまったのではないだろうか。少なくと も等号の後半部であるおたくとピデオというイメージの結びつけというのは,強 固なものであったと患われる。 - オタキングを名乗る岡田斗司夫
彼はこれまでの平仮名書きの「おたく」 という記述から窓i型的にカタカナ書きで の「オタク Jへと変更するという戦略をとる。
ここで注目に値するのは,性的な倒錯者であるという「おたく」像と,それに 対して本質的なのは「高度なリファレンス能力」のほうにあるのだという「オタ ク」像にしろ,その起源となるイメージとして80年代前後に認識されるようにな ったある程度ボリュームをもった集団を想定しているということである。そして どちらの〈表象〉にも結び付けられているのがビデオというメディアなのである。 - 先行研究と分析視覚
- おたく/オタクをめぐる先行研究
- ここで批評的/アカデミックという区分自体が意味を持つのであろうかという 問題はあるが,ここで両者の特徵というものを便宜的に記述しておくとするなら ば,それは批評というものはおたく/オタクというものを分析するというよりは 戦略的に書き換えるような志向性を持った言説であるということができる
- これに対しでもう一つの代表的なアプローチとしてオタク的な共同體に対する
ファンダム研究の領域をあげることができる。
第一の問題点としてあげることができるのが,そ のフィールドがおたくの実態、であるのかという問題である。ただ,この点に関し てはそもそもおたくというものが可らかの実態を持って存在していると た場合には決して避けることの出来ない反論ではあるだろう。むしろ問題にすべ きなのはこの反論のさけられなさの方である。
もうーつ考えなければならないの は,仮に実態としてのおたく/オタクがそのフィールドと等号を結びつけられた としても,そこで検討されているフィールドというものはおたく/オタクという 言葉の持っている歴史性に対して言及することができないという問題がある.こ のことはその反駁したおたく橡というものが時代に合わなくなったから違うもの になったのか,もともとその診断が誤りであったのかということを問題化できな し - 本論で試みる位置取りと言うのは「言説としてのおたく」と「実態としてのお たく Jという二項対立的な立場の片側だけを見ることだけでは見ることの出来な い水準の分析をするということを試みる。
- 理論的分析視角(キットラーとフーコーの議論から)
こうしたイメージを考える上で重要になるのがその特定の消費者像の構築に関 してだ。ここで注目するべきなのは,岡田の指摘するオタクというものの誕生に 重要な意味を持つというアニメ雑誌とビデオというこつのメディアである。本論 ではその二つのメディアがおたく/オタク像の形成にいかなる意味を持ったのか という三つの変数について考えることにする - 本論での課題はテクノロジーとテクノロジーの馴致というそれぞれ異なった性 質の二つのメディア間の「かかわり Jの向こう側に析出されていく「汚辱に塗れ た人々 jとしての「消費主体としてのオタク像」のイメージが立ち現われていく 様を描き出すことにある。
- 分析対象と問いの設定
- オタク向けアニメという ものは(1)オタク的な消費者層がイメージとしてある程度持つことが形成されてお り(2)そのオタク的な消費者麗が好むようなアニメがある程度のボリュームを持っ て形成されたというこ段階の状況が必要となるということである。そしてこの状 況ができあがったのが80年代ごろであったと論じたうえでその閉塞を乗り越えていく可能性として庵野秀明の「新世紀エヴァンゲリオン」を評催するという論文 となっている。
- 「オタク向けアニメ」/ 「子ども向けアニメ」と名指されうるコードとそれと 結びつけられた消費者像がいかにして投稿欄やアニメ雑誌上に浮かび上がってき たのかということを問題イとする。そこでおたく/オタクと名指されうるイメージ の源流がいかにアニメ雑誌上に表象されてきたのかということをメディアとの 「かかわり j とともに論じていきたい。
- ビデオとアニメ雑誌の「かかわり」
- 新たな 「アニメファン」をめぐる混乱
初期のアニメージュのターゲットの定まらなさというのは一体どのようなもの であったのだろうか?
ここで言われているアニメファンというのはいわゆるヤマト以降に爆発的に増 えたものであり,その実態というものを掘めていなかったので「最近アニメのフ ァンJになった人々に対して教育的な意図のある記事がいくつもあったのだ。そ の捕まえられなさを象徴するのが初期アニメージュの読者械における対立軸であるということができるだろう O そのこ項対立に関して次節では論じていくことに したい - 従来のアニメファン/ミーハーなアニメブーム以降のファン
従来のオタク論をめぐる議論においてオタクというものを大 量に生み出したという起点として語られる 宇宙戦艦ヤマト であるが,当時に おいてはむしろアニメブームできたユーザーというのがむしろ「ミーハー」なも のとして位置づけられていたということである。
ここでの対立軸としてしばしば持ち出される,最近のアニメファンやアニメは f動き Jを軽視しているという言ー説は今を嘆いているようでありながら,実際に 仕掛けているのは,告分はこんなアニメを消費してきたという 差異化のゲーム である しかも,この差異化は「古くからアニメを見てきたj というアーリーア ダプターの慌が「アニメブーム以降jのラガードに対して仕按けたゲームである
では こうした対立の構造というのが安定fとするく条杵〉とは純だろうか。それはアニ メというものが,一般のユーザーにとっては一度見逃したものはもう見返すこと ができないというものとしてあったということである O その〈いま,ここ〉でし か見られない構造というものが解決するためには,あるメディアの;誕生を詩=たね ばならず,そのメディアに対する欲望というものは次第に高まっていくことにな る。それがピデオである O - ビデオの普及状況に関して
調印が言う近代おたくというものの誕生において,決定的な影響を与えたとい うのは家庭用ピデオである。市販の家庭用ビデオとして初めて出てきたのは76年 のパナソニックの VX-2000であるとされている。中でも盛期的な機教が発光さ れたのは, 1980:年7丹になってからである O その当時:のビデオというのは,館段 にして30万円前後であり,当時の中学生・高校生というものが容易に手に入るよ うなものではなかったといえる。実際にアニメージュが創刊された当時のビデオ 普及率は決して高いものであるとは言えなかった。 - 「テレビを録る」ということの欲望をめぐって
欲望を裏付けるものとして実際にアニメをとることに対する欲望の高まりを見 ることができる事例がある
このようにアニメの写真やカセットテープを録ることはかなりメジャーな行為 として見られていたようである O そのことを見るうえで象徴的なのが1983年 6月 の投稿欄の投稿である - 近頃ビデオの所有率が高くなり,アニメのビデオソフトも続々と販売され る時代が来たというわけです。そこでぼくは,いままで集めた伝言板〈貸し てください〉のコーナーではどのくらいピデオが普及しているのか,またカ セットテープとの比較をしてみたいと思い調べてみました。
- この投稿者の集計ではカセットが149本であり,ビデオテープが108本(うち V H S 59ベータ 26その他・両方23) ということであった。もちろん,このことが統 計上何らかの意味を持つのではない
- ピデオというものが読者檎に登場す るのが81年になってからのことであるので, (普及率〉などというものを知るべ くもない。
- ここで前提とされていることが二つあるのである
- 第一にカセットテ )プよりもビデオに肉薄しているということが驚くべきこととして受け取られて いるということである o
- もう一つはピデオ
とカセットを比較できるという感覚についてである
この比較が成り立つという ことは前者のカセットがビデオのオルタナティブ的な消費行動であると捉えるこ とがある程度メジャーであったということである - 「おたく/オタク」イメージの形成
- 「子供向けアニメ/オタク向けアニメ Jというコードの分化
東の言うようなオタク向けの80年代アニメの成立というのが意識されるように なるのは一体いつごろになってからなのであろうか。それは子ども向けとはズレ た,消費層というものを意識するようになってからである O それがコンテンツレ ベルで、最も初めに現われたのはガンダムのテレビシリーズを終えたあとの富野監 督らがイデオンで初めから"中高生向け"を押し出して展開したというところに見出すことができるだろう - コストの制限によるセレクション
ピデオの普及期においてはテレビをビデオに録るということは非常に大きなコ ストであるということは先述したとおりである
「そうしてまで見たいアニメ Jというものは必然的にある程度一話完結的なも のよりはストーリー性の大きな SFものなどが選ばれる傾向になるのである O こ うした視聴行動を前提として繰り返しみたり,アニメ誌で設定を確認することが 可能であるということを前提として作られるようなアニメが現われはじめること になる O - 「おたく/オタク的消費の仕方」の誕生
このような細部の拡大というものもビデオの普及によって成立しており, I見 方jというものに注告が集まったのはピデオによってであるということができる o そこではアニメーターはしばしば役者と表現されるようになりつつあるのであ る。そしてそのアニメは咲{象が保存できないときにはこうした視聴行動というの は原理的に不可能であったのである。
その中高生アニメと子ども向けアニメというのが十分に分化してしまったあと にはその「何を見るのかj という対立軸ではなく「どうみるのかj ということで 差異を際立たせようという主体像がアニメージュ仁に表象されることになったの である - 「汚辱に塗れた人々」と「おたく/オタク」という主体像
ここで描き出したイメージが"おたく"というイメージの全体性と いうわけではない。こうしたイメージが中森の"おたく" という名付けを持って 地のイメージとともにより大きな「おたく Jという消設主体識という一つのイメ ージを形づくっていくことになるのである O
そして一変外部に解き放たれたイメ ージは諮費社会とかかわることになる。また別のメディアとの「かかわり Jの中 で記述されることが要請される O 本誌で扱ったのはその外部に解き放たれる 夜前 の一つの消費主体のイメージが立ち現れてくる瞬間に掬してなのである O
我覺得這篇文章有哪些重點?或是我的心得?
本論で注目するのは創刊号からおたくという言葉が初めて誕生するまでの時期
のアニメ雑誌"アニメージュ"五年分を分析の対象として設定することにした
い。
該文以動畫雜誌中關於錄影帶的討論,形構出一個御宅的動畫消費方式
雖然我不知道這要怎麼跟"汚辱に塗れた人"連結就是了
沒有留言:
張貼留言