2020年12月9日 星期三

〈子どもを元気にする環境とは〉《子どもを元気にする環境とは ー政策の現状と評価ー》仙田 満

  1. 身体能力、意欲の低下
    私は学習意欲について問題にしたいと思います。横浜国大の高橋勝教授の報 告によりますと、この25年間で25ポイントも減少しています。これらの原因はさま ざまありますが、私はこどものあそび環境の悪化によって、すなわち外で遊んでいな いための運動不足が最も大きい原因と考えています。こども達の病気の成人病化、あ るいは最近朝日新聞が30歳代の社員に心の病が急増しているとか記事が出ており ましたが、こども時代に十分に遊びを体験してこなかったことが大きく影響してい るのではないかと推察しています


  2. 能力と意欲の低下をもたらすもの
    日 本のあそび環境の変化を見てみますと、1960年代のテレビ、1980年代のテレビ ゲームの影響は極めて大きいものがあります。テレビによってこども達のあそびは あそび集団というものに参加しなければならないという呪縛を解かれてしまったのです

    1980年代のテレビゲームは参加性を持つもので、テレビよりもさら に強力であり、こども達をさらに自閉化させていきました。次代のパソコン、ケイタ イはその変化と楽しさ、魅力をさらに高めています。こども達は外あそびの中で生物 科学的な能力を育む時間を奪われています。さらに大人たちのこどもに対する犯罪 が凶悪化しています。こども達がさらわれ、殺される事件は親達に恐怖を与え、こど も達を閉じ込めています。いまや学校でさえも安全なところかどうか心配されてい ます。まして公園は危険な場所という烙印をおされています
  3. こども達と成育空間の関係
    こども達の成育環境としての建築、都市、公園という空間的な関係について見てみる と、こども達のあそび空間はこの40~50年の間にとても小さくなっています。1955 年頃に比し、10分の1から20分の1というようなオーダーでの減少率です。その 中でも自然スペースは著しく少なくなっています。横浜では斜面緑地という2~30m の小高い丘陵のつながりが自然スペースを形成していましたが、これもこの50年間 で大きく減少しています。また海外とのこどものあそび空間の比較においても、日本 のこども達の環境は極めて低い位置にあります。さらに1975年頃のあそび環境と 1995年頃のあそび環境の変化では、1975年当時の田舎のこども達は大きな自然あ そび空間を持っていましたが、1995年では他の都市のこども達と同じような状態 になっています。すなわち1995年頃は日本のこども達は都市のこども達も田舎のこ ども達も都市化の影響を厳しく受けていると言えます。すなわち田園地域のこども 達も少子化の影響によりあそび集団がほとんど成立せず、都市のこども達以上にあそびの体験が少なくなっていることです。今や日本のこども達は地域をこえてあそ びの体験が少なくなっています


  4. こども達のための空間的条件 
    こどもの成育という点から言えば、低層高密で中庭型の集合住宅こそ適して いると考えています。日本の住宅政策の方向を変える必要があります
    私はこどもの環境として、遊びやすい空間の構 造というテーマで、遊具の研究から遊環構造というモデルを提案しています。こども の集団遊びの原点は、「おにごっこ」と言えます。おにごっこが発生しうる集合形態 が望ましい。そのためには、できるだけ地面に近い必要があります。集合住宅地の清新町団地でも、10階前後でも廊下、階段等でたて横の動線がで工夫されている例で は、住宅棟全体を使ったおにごっこが見られました。しかし、一般的には4、5階建て の中庭居住がこどのも成育の環境として多くの人々から見守られているという点も 良いのではないかと思っています。
    私は日本のこども達に長期、たとえば1年間山村留学さ せる事を提案したいと思います。自然の厳しさ、美しさ、楽しさを1年間過ごす事に よって体験できます。そして、こども達は2つの故郷を持つことができます。都市と田 園とが、こども達を介して連携し、きっと教育的な効果だけではなく、社会的、経済的 な効果も高いと思われます。こども達は、共同生活をする事によってまた学び、たく ましくなる機会を得るに違いありません。

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仙田満對於孩童遊玩環境提出的問題與解決方案

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本來是要找論文的,可是沒有免費下載的,只好看這個

2020年12月4日 星期五

〈ビデオテクノロジーの歴史的展開にみる 技術/空間/セクシュアリティ ―1970 年代日本におけるビデオ受容空間とそのイメージの変遷-溝尻真也〉

  1. 問題関心 
    1. ビデオテクノロジーのメディア史に向けて
      日本において家庭用ビデオデッキが本格的に普及するのは、1980 年代半ば以降である。ビデオデ ッキの普及は、それまで一度観たら終わりであった映画やテレビ番組を、好きな時間に、繰り返し 観ることのできるコンテンツへと変化させた。また、録画しコレクションされることを前提とした テレビ音楽番組が生み出されたり 、ビデオでしか観ることのできないオリジナルのコ ンテンツ制作も盛んになるなど、コンテンツの内容や形式にも影響を与えており、家庭用ビデオデ ッキの普及は、日本のテレビ放送や映像文化の歴史を考える上でひとつの転換点であったと考える ことができるだろう。
      本研究は主に 1970 年代の日 本におけるビデオテクノロジーに対するイメージの流通過程に焦点を当てる。「VHS/ベータ戦争」が起こり、ビデオが家庭用のテクノロジーとして広く浸透しはじめる以前の段階で、ビデオは いったいいかなるテクノロジーとしてイメージされていたのだろうか。
    2. ポルノビデオ/アダルトビデオへの照準
      ビデオテクノロジーのメディア史を語る際に、必ず引き合いに出されるのが、こうした「ビデオ テクノロジーの普及にとって、アダルトビデオは決定的に重要であった」「VHS/ベータ戦争でV HSが勝利したのは、松下(=VHS)の代理店がビデオデッキ販売時にアダルトビデオをおまけと して配っていたからである」といった神話であろう。この雑誌記事にも見られるように、こうした 神話は、既に 1980 年代末の段階で流通を始めていた。
      「ビデオテクノロジーの普及にとって、アダルトビデオの存在は決定的に重要 であった」という言説が、いかに構築され、流通するに至ったかを明らかにすることを目指す。そ してこれらの記述を通して、これまでメディア研究の対象としてはほとんど扱われてこなかった(故 にこうした神話が信憑性を持って語られてきた)、ビデオテクノロジーおよびそのイメージの普及過 程を明らかにすることを、とりあえず本研究の目的として設定したい。
    3. 言説とイメージのポリティクス
      一次資料としては、『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録 件名編』の3巻および5巻にて、「モーテ ル」「ラブホテル」「ブルーフィルム、ポルノビデオ」の項目に分類されていた雑誌記事、計 524 件(重 複を含む)を用いた。
      また業界向け専門雑誌の記事は大宅文庫の索引に載っていないこ とが多いため、それを補うため、今回は国会図書館に収蔵されている、創刊から 1985 年までの『レジャー産業資料』『月刊ホテル旅館』『月刊ビデオ&ミュージック』を通読した。またそれ以外にも、 独自に発見した資料を適宜使用した
  2. 1970~80 年代におけるビデオイメージの生成過程
    1. 1970 年代における業務用ポルノビデオの流通
      ビデオという言葉が認知されるようになったのは、1970 年の講演会で語られた、石田達郎・フジポ ニー社長による「ビデオソフトウェア産業は十年後には五千億円規模の産業になるであろう」とい う宣言が契機であったとされる。
    2. 親密な空間におけるポルノビデオ受容
      業務用ビデオデッキが米・アンペックス社によって開発されたの は 1956 年だが、日本でも、1965 年にソニーが家庭用ビデオデッキを発売して以降、各社が相次いで この分野に参入していた。1969 年にはビクターとソニーがカラービデオデッキを発売しており、石 田発言は、このように白熱しつつあったメーカーの技術開発競争を背景になされたものであった
      1. 1971 年に行われたビデオソフト流通に関する調査では、当時流通していた個 人向けビデオソフトはわずか 0.5%に過ぎず、実に 98%が業務用ソフトとなっている。
      2. このようにビデオソフト業界は、業務用の成人娯楽が 6 割を占める状況から始まった。1970 年頃 まで、こうした成人娯楽のためのソフトは一般的にピンクビデオと呼ばれていたが、この時期のピ ンクビデオはピンク映画を焼き直したものが主であった。
        当時ポルノビデオとは、モーテルやラブホテルなどで受容されるメディア だったのである。
        モーテルやラブホテルにおける、ポルノ視聴装置としてのビデオテクノロジーの存在は、少なくと も 1970 年代初頭にはかなり認知されていたといえるだろう 
    3. 「観る」ビデオと「撮る」ビデオ
      当時ラブホテルにおけるビデオ撮影装置は、ビデオ視聴 装置以上に明確に、性行為時における被撮影者の性的興奮を高めるためのテクノロジーとして言及 されていた。換言するなら、ここでビデオテクノロジーは、密閉された親密な空間で、その親密さ を確認するために、自らを録画・再生するテクノロジーとして言及されていたのである
      こうした性的欲望とテクノロジーへの欲望を、同時に分節不可能な形で喚起するものとして、 当時ラブホテルのビデオ撮影/視聴装置は語られ、またイメージされていたのである
    4. ビデオテクノロジーの家庭化/個人化
      1. 1980 年代半ば頃からVHS/ベータの普及は急速に進んでいくが、それに少し先行する 形で、1980 年以降、ポルノビデオに関連する雑誌記事は急増している


      2. これまでの本論の流れを鑑みれば、ラブホテルからビデオ撮影装置が消滅した要 因はそれだけではないだろう。ビデオが家庭化するということは、それが単なるイメージの次元を 超え、生活空間の中で実体化されるということでもある。特に 1985 年にソニー・ハンディカムが発 売されて以降は、撮るテクノロジーとしてのビデオも家庭化していく。自分たちの身体を映像に撮 るという行為が非日常でなくなるにしたがって、ラブホテルのビデオ撮影装置はその姿を消し、「消 し忘れ」というジャンル呼称――それはラブホテルという空間とビデオテクノロジーの必然的な結 びつきを表していた――も、次第に広い意味での「素人もの」へと変わっていっ たのである
  3. まとめ
    アダルトビデオに象徴されるような性的欲望はもちろんのこと、メディアの生成過程にはコンテ ンツ消費への欲望が不可避的につきまとう。それが特に強くなっていくのが主に 1970 年代以降だっ た訳だが、こうしたコンテンツ消費への欲望が言説として大量に流通していく裏で、 テクノロジーへの欲望は次第に不可視なものになっていった

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本研究が明らかにしようとしているのはビデオテク ノロジーをめぐるイメージ .... の生成・変容過程であり、こうしたかたちでしか言及される機会がなかっ たこと自体、ビデオテクノロジーをめぐるイメージ構築のひとつの結果であり、また要因であると 考えることができるのではないだろうか。

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我覺得從性慾望來討論錄影機感覺很有趣,但為何會以性愛為起點倒是很感興趣,是原本廠商就以這樣的市場戰略來販賣,還是受外國影響?
對於錄影機的負面刻板與御宅族的負面刻板不知道有沒有關聯性耶

2020年12月3日 星期四

〈ビデオをめぐるメディア経験の多層性 ——「コレクション」とオタクのカテゴリー運用をめぐって——永田 大輔〉

  1. はじめに
    本稿ではオタク が社会問題化するきっかけとなったビデオテープを「コレクション」する行為に着目する
    ビデオテープをコレクションする営みは、80 年代にオタクと呼ばれることになる人々の中 で最も日常的な行為である。それと同時にビデオデッキの普及率は爆発的に増加しており、 ビデオはその他の多くの人々にとっても、日常的に使用するメディアとなっていた。そして、 オタクが社会問題化するきっかけとされる連続幼女殺害事件はまさに、この複数の水準での 行為の意味づけが交錯する場面であったといえる
    1. 本稿ではこの二つの 文脈性を、1989 年のビデオというメディアが持つメディア史的な条件におけるビデオテープ のコレクションに関するそれぞれのアクターの意味づけという観点から考える。
      (1)マスメ ディアの語りがなされる前提として、一般層にとってビデオがどのようなものとされていた のかと、
      (2)批評的言論が宮﨑勤を「真のオタク」ではないとする言論の根拠として持ち出 したことがファン集団内でどのような文脈を持っていたのかを事件をめぐる言説が成立する 文脈として本稿では検討していく。 
  2. 「オタクの代表」の宮﨑勤
    1. 「証拠」としてのビデオ報道
      証拠としてのビデオ報道のされ方は、2 通り存在する。それはビデオを事件の客観的な証 拠と事件の動機としてとりあげる報道である。
      ここでは宮﨑のビデオテープが未整理であったために、目星をつけた捜索ができなかった ことが指摘されている。このことは一見些細なことに見えるかもしれないが重要な意味を持 つ。詳しくは後に検討するが、宮﨑がオタクであるのか否かという論点が浮上した際に、ビ デオテープが未整理であることが問題として取り上げられたからである。
    2. 宮﨑勤との切断操作とその範囲
      前述のように世代への結びつけがなされる一方で、6,000 本というビデオテープとオタクと いう言葉が結びついていたことがわかる。さらに、「他の映像メディアにのめり込み」、「虚実 の境目がわからなくなった」と、ほぼ上記の世代全体の拡張と同様のレトリックで語られつ つも、「彼ら」という形で特定の集団を想定した議論が展開されている。この曖昧なオタクの 使われ方を検討するには、従来問われてきたオタクというカテゴリーになぜ負のまなざしが 注がれたかではなく、そもそもビデオというメディアになぜ負のまなざしが注がれたのかと いうビデオの社会的配置をめぐる問いをひとまず検討すべきである。
  3.  ビデオの 1989 年における社会的配置と有徴性
    1. 家庭に導入されても、多くの家庭ではそのメディアをうまく使いこなせず、テレビを視 聴できないときに録画をする等単純な操作のみが行われた可能性がある 12。こうしたただ録 画だけをする層から見たときに、ビデオをコマ送り・編集したり、「コレクショ ン」したりするような消費は、珍しいことに映った 13。それが特定の集団を奇異なものとし て結びつけるまなざしへと接続する
    2. この時点でのビデオはカラーテレビに比して圧倒的に有徴なメディアだったのである。によると、世界を自分のお気に入りの世界にカスタマイズするのが、パーソナル な文化の条件である。これは同時に大衆向けを一律に消費するような世界とは異なるもので ある。ビデオはテレビをパーソナル化するメディアであったが、まさに 89 年のビデオをめ ぐる言説空間はそうした「一部のものだけがパーソナルな消費を行うこと」と「社会全体が パーソナルな消費を行うこと」の問題が混在するような場であった。宮﨑勤を「オタクの代 表」として語り、ビデオとオタクを結びつける文脈はパーソナル化の一般化への過渡期とし て存在したのだ。このように特定の集団に結びつけられる一方で若者全般にも結びつくよう な言論としてビデオに関する言論は存在した。ただ、オタクというカテゴリーに事件が結び つけられることへの危惧が語られるようにもなる
  4. 「真のオタク」ではない宮﨑勤
    マスメディアが語る言論との差異化を意識しつつ、それを具体的に実現するための戦略の 一つとして、『M の世代』における大塚の語りがある。『M の世代』は、大塚の「二六歳のおた く青年の主張を代弁したところで何の意味もないかもしれないが、彼の生きてきた不毛とぼ くが生きてきた不毛がつながっているとわかった以上、そうする他にないではないか」という発言をもとに作られた書籍である。
    「真のおたく」なるものを想定して、その「真のおたく」のふりをしている、すがっている という表現によって、M 君との距離感を確認している 。「おたくみたいな」疑似共同体に入 れないものをどうするかという論点で対談は進んでいくことになるが 、重要なのはここで 一度オタクという集団と宮﨑勤との関連を切断しようとしていることである。
  5. 変容するコレクションの意味論
    1. コレクションにおける数という意味
      本章では、そうした当時のビデオ使用の様 子を多く観察できるアニメ雑誌上で 80 年代を通じ、ビデオテープをコレクションすることの 意味がどのように形成・変容していったかを見る
    2. コレクションをめぐる二つの争点
      ただ本数を持っている以上の、質をめぐる論争が起こる。「三倍で録画してい た」作品を、標準で取り直すような拘りが現われる。そして、このコレクションの質の問題 が前面に出る際には常に二つのことが大きな論点とされていた。「β か VHS か」という機種 をめぐる軸と、「VHS 標準か VHS 三倍速か」という録画方法をめぐる軸の二軸である。
    3. 節約と質の拮抗
      標準か三倍かということをめぐる論理をより詳細に見て行く。そこで問題化していたのは、 「よりよい映像を見る」か「よりコストを節約するのか」という 2 つの論理の対立であった。
      宮﨑勤が「オタクではない」ことの根拠として、様々な映像が一本のビ デオテープに入れてあることや、標準か三倍速かに関するこだわりがほとんど見られなかっ たこと、ビデオテープが未整理であったことが問題化されていた。だが、元来これは「オタ クであるかどうか」が峻別できる卓越性を表示するような指標ではなかったのである。では、 それが卓越の指標として記述されたことの意味はどのようにとらえればいいのか。 
    4. こだわりの変容
      そうした所有だけによる卓越ではない指標がひとまずは目指されることになる。こうした 従来的な卓越の根拠に対して、新たな根拠として連続幼女殺害事件の際に批評家によって持 ちだされたのが、標準か三倍速かという枠組みと録画の効率化をどのようにしているのかと いったこれまで節約の技法とされてきた問題である。また、一本のビデオテープには同じ作 品や少なくとも同じジャンルに絞って録画するといった実践が行われていないことも宮﨑勤 が「真のオタクではない」根拠として用いられた。前述したようにビデオテープの価格が下 がったこともあり、こうした録画の技法等は、実用的な意味がそれほどなくなっていったと 推測される。情報の詰め込み方等の整理の仕方が、実用的なものではなく、長くそうした習 慣を持ってきたという卓越の原理として持ち出され、宮﨑がオタク的でないものとして位置 付けることの根拠の資源として用いられたのである。ここで持ち出されたのはむしろ、これ まで節約の原理が主であったものからかろうじて卓越性を発明していく実践であったといえ る。そして、それがマスメディアとの差異化を志向しつつ「真のオタク」と宮﨑勤の差異と して切断操作を行う語りを可能にしていた。 
  6. 結論——オタクが語られ出す論理
    本稿で明らかにしたことは、オタクというカテゴリー全体を説明するものではないが、オ タクをめぐる社会問題化の起点を考えるうえでは重要な視点である。宮﨑を「オタクの代表」 とするのも「真のオタクではない」として語ることも切断操作であるといってよい。問題は どのような切断操作かであり、それがどのような文脈によって生じたかである。

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討論大塚在宮﨑議題上進行的切割戰略,以怎樣的角度切開宮﨑與オタク的距離,並探究這樣的切割論點在那個時代何以成立

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從大塚的言論帶到80年代的錄影帶史,我覺得為整個オタク的討論加深也加廣方向,尤其是那些雜誌的運用,也許帶個オタク的討論平台這樣的研究(今天的5CH、PTT)也許可以,從這樣的交流來探究オタク80年代史。

2020年12月2日 星期三

〈コミックマーケットの現在 ――サブカルチャーに関する一考察――相田美穂〉

  1. はじめに
    本稿ではまず,コミックマーケット,またはコミケット,コミケと呼ば れるイベントの変遷と,そこで行われてきた活動を資料に基づいて概観す る。  
    次に, 2004年夏に開催されたコミックマーケット66において筆者が行っ た調査を元に,コミックマーケットの参加者が,現在どのような活動を 行っているのか,そして,その活動がいかなる特徴,および意味を持つの かを考察する。
  2. コミックマーケットの概観――歴史と活動の変遷
    コミックマー ケット,あるいはコミケット,コミケという呼称は,同人誌活動に関わる 者においてさえ,時に同人誌即売会一般を指す言葉として誤用されるとい う現状がそれを物語る。コミックマーケットとは,正確にはコミケット準 備会が主催となり,現在は夏と冬の年に2回,東京ビッグサイトを会場と して定期的に開催されているイベントを指す
    1. 漫画同人事情――コミックマーケット以前から第一回コミックマーケットまで
      漫画同人誌は漫画を描いている素人が同志を募り,作品を持ち 寄って発表するための媒体として成立していた。後年,漫画原稿の複製が 手軽で安価な手段により実現するまでの漫画同人誌は「肉筆回覧誌」と呼 ばれる形態を取る。それは,同人のメンバーが投稿した生の原稿をまとめ て一冊に綴じ,同人の仲間内で回覧板のように回し読みをするものだった

      75年は,漫画同人誌が肉筆回覧誌から1人1部の所有へと形態を変え始 めた頃でもある。漫画原稿を複製する手段としてコピー機や簡易オフセッ トが登場し,漫画同人誌の一般向け頒布,同人会員のコピー誌所有が可能 となった。
      1. 漫画専門誌『COM』(虫プロ商事)
        67年になると『COM』誌上で会員募集,サークル結成のお知らせなどが載り, 次々と全国サークルが誕生していくことになる
        その『COM』は72年に休刊を迎える。『COM』と いう拠り所を失った漫画ファンは,『COM』に代わって同好の志を結集さ せるための手段を模索した。その試みの一つから,漫画批評集団「迷宮」 によって,コミックマーケットが生み出された。それが,1975年に開催さ れたコミックマーケット1――つまり,第1回コミックマーケット――で ある。
    2. コミケットの規模
      1. C1
        第1回コミケット(C1)は,1975年12月21日に開催され,サークル32, 一般入場者700名が参加した。参加者は9割が少女漫画ファンの女子高生で ある
      2. C5
        C5(77年春)が開催された年は,テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が人 気を得る。『~ヤマト』人気は,コミケットに創作漫画系ではなくアニメ系 同人誌の増加をもたらした。そして,アニメ系サークルの急増により
      3. C11
        C11 (79年春)では,会場が漫画系とアニメ系と分けられる。アニメ系同人誌は 一過性の流行現象で終わることなく,コミケットに定着する。また,同時 期に,後年ブームへと発展する,いわゆる「ロリコン」同人誌が登場して いる
      4. C12(79年夏)には,男性参加者が増加傾向を見せる。男性参加者を中心としたロリコンブームは C18(81年夏)頃,頂点に達する。 続く C19(81年冬)で参加者の過半数は男性が占める。その C19では, サークル600,一般9,000の参加を数えた。 
      5. ロリコンブームに次ぐ大きな転機は女性参加者の間に起こった。C28(85 年夏)では,『週刊少年ジャンプ』(集英社)連載の高橋陽一著作であるサッカー漫画『キャプテン翼』(以下,C翼)同人誌が登場する。『C翼』 同人誌は10代女性のコミケット参加を急増させた
        C28の参加者は,サー クル3,450,一般30,000である。こうした女性を中心とする盛り上がりの ピークは C39(90年冬)で
        女性参加者の間に起こった変化は,5年間で,サークルはおよそ4倍,一 般はおよそ8倍まで参加者を増加させた。その頃には,コミケット参加者 のうち7~8割を女性が占めるようになっている。この傾向は,『C翼』人 気,それに続く『聖闘士星矢)』ブームを反映している。
      6. コミケット全体に影響を与える大きなトレンドは現 れていない。それでもコミケット参加者の増加はサークル,一般共に加速 していく。
        1. その要因の一つに,元々は非同人漫画誌の読み手だった層が, コミケットの存在を知り,コミケットへの参加を始めたことが挙げられる。 さらにプロデビュー後もコミケットへの参加を継続する描き手の増加が, この変化をもたらした。
        2. コミケッ トという場では,漫画同人誌に限らず,多様な「表現」が許容されている という事実も重要である。冊子という形態をとって頒布される「表現」は もちろん,後述するコスプレもコミケットで見られる表現の一つである。
    3. コミケット会場の変遷
    4. コミケットの参加者たち
      1. サークルと一般――同人誌を売買する人びと
        大抵のサークルはコミケット参加に伴う支出の回収すらおぼつかない のが実情である。一般の場合,コミケットへの参加は支出の要素しかな い。  
        それでも,数十万人規模の参加者がコミケットに集まる。金銭に替え られない「何か」を参加者はコミケット参加によって得ていると考えな ければ,参加者の行動は説明出来ない。その「何か」については別項で 考察する。
      2. コスチュームプレイ――同人誌から離れた参加者たち
        コスプレとは,任意の漫画やアニメ,ゲーム作品の登場人物が着用し ている衣装を真似た扮装をする活動である。
        コスプレイヤーが,コスプレ衣装を入手する方法は様々である。コス プレイヤー自身による手作りを初め,コスプレ専門店でのオーダーメイ ド,既製服や小物類の購入等々,多様な手段でコスプレイヤーは自らが 着用するコスプレ用の衣装を整えている
        1. コスプレがコミケットに初めて登場したのは,C8(78年春)である。そ して,C15(80年夏)頃にコスプレは激増を見せ,現在に至る。
          C23(83 年春)からは,警察の指導によりコスプレ衣装着用のまま会場外へ外出 することが禁止された。コスプレ衣装と普段着の着替えについては,コ ミケット主催者があらかじめ,その場所と使用時間の指定をする。
    5. コミケットと商業漫画・小説の関係
      C10(78年冬)頃には,漫画同人誌の描き手を経てプロデビューする者が 現れ始める。また,同時期に,同人誌の描き手を商業誌の描き手として起 用した雑誌,単行本が創刊されている
      1. 「日本初のロリコン漫画誌であり,同人誌の美少女コミックをメインにし た新しいタイプのエロ漫画誌の草分け」\となった『レモ ンピープル』(久保書店)が創刊されたのは,81年である。80年前後には, 女性向け・男性向け問わず商業誌漫画においてコミケット出身の描き手が 活動の場を獲得し始めた。
      2. 同じ年,コミケット準備会が『コミケットセレクション☆ 83』を発行している。同人誌作家10人の作品を収録した同誌は,現在のア ンソロジー単行本の先駆けをなす
      3. 87年頃には,同人誌作品を集めたアニパロの再録本や,ジャンルアンソ ロジー)が次々と出版社から発行され,一般の書店の店頭に並んだ。この 動きは,コミケットに代表される同人誌即売会をはじめとするごく限られ た場で流通していた漫画同人誌を,内容はそのままに体裁だけを変えてコ ミケットに関わりのない一般の読み手の手に届くものとした。
      4. 88年には,漫画作品ばかりでなく,小説同人誌の商業誌化が始まる。そ れは,小説同人誌の書き手(同人作家)を商業小説雑誌の書き手に起用す る動きの始まりである。90年には小説同人出身の書き手による最初の単行 本が発行され,公称で15~20万部を売り上げた。同人作家を書き手とした 書き下ろし単行本というスタイルは,91年頃に定着しはじめる
      5. コミケット初期には,同人誌の書き手は,通例としてプロになると同時 に同人誌から撤退した。現在は,商業誌に連載を持つ,いわゆるプロの作 家がコミケットで自作同人誌を頒布する事も珍しくはない。

        商業出版は,「ロリコン」等の言葉によって表されるその時々で読み手を 強く引きつける作品の傾向と,作品を執筆する書き手の双方について,コ ミケットという場に出現したものを取り入れ,商業出版物とての漫画・小 説の方向性を定めて一般読者に提供しているのである。
  3. コミケット66(2004夏)
    1. コミケット66に見るコスプレ
    2. 同人誌即売会としてのコミケット66
      コミックマーケット66においては,たとえ同じジャンルの愛好者同士で あっても,会場で行われる交流は希薄だった。その要因は,同一ジャンル 内でさえ趣味・嗜好が細分化し,同じジャンルというだけでは,お互いに 快の共有への期待が困難になったことにある。ゆえに,コミケット参加者 は自分の快を乱す可能性を孕む直接的な対話から撤退し,同人誌の売買を 通じてのみ,お互いの好みや意志を表現する。相手からの返答があらかじめ期待されていない一方的な意思表示を選択することにより,コミケット 参加者は自己を不快から守ると同時に他人を不快に陥れる可能性を回避す る
  4. むすびにかえて 

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本稿では,コミックマーケットの概要及び,そこで現在見られるコミュ ニケーションのあり方と意味を明らかにした。それは,お互いを傷つけな いコミュニケーションと,それによる自己の確認であった。また,コミ ケット参加者を通じて考察された現象は,現代の若者全般に見られる特性 がコミケットという場に表出したものであることを確認した。

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前半段介紹同人展的歷史與內容,後半段是個人遊記參雜同人展中的交際行為,大概應該是我想去受到肯定,但又害怕過於親密的接觸,於是在網路上po我在現場囉,然後看著大家在下面留言,我看到了、我買了很不錯等留言,並從這獲取滿足感,但現場就僅僅只是短短的交流而將進一步的互動轉移到網路上。

2020年11月27日 星期五

〈アニメ雑誌における「第三のメディア」としてのOVA-一九八〇年代のアニメ産業の構造的条件に着目して-永田大輔〉

  1. はじめに
    本稿は,一九八〇年代のアニメ雑誌上でのOVAに関する言説を,その産業史的な条件を含めて分析する
    OVAは東浩紀が八〇年代の"オタク向けアニメ"の代表として語るなどオタク文化に関して一時代を象徴するメディアである
    東 は O V A が 、 「 子 供 向 け の テ レ ビ ア ニ メ 」 と は 区 別 さ れ る も の と し て 、 八 〇 年 代 の オ タ ク 文 化 の 代 表 的 な も の と し て 挙 げ て い る の で あ る
    本 稿 で は 東 ( 一 九 九 六 ) の 議 論 に 示 唆 を う け 、 ア ニ メ 雑 誌 上 の O V A を め ぐ る 語 り を 検 討 す る 。
  2. 分析資料
    アニメ雑誌は一九七〇年代後半から相次いで創刊したジャンルである
    岡田によるとオタクが増加していくうえで重要だったのはビデオとアニメ雑誌の成立であるという
    1. 本稿の資料として用いるのは,"アニメージュ"(1978)と"Animec"(1978)と"アニメV"(1985)という三つのアニメ雑誌である
      1. 現在でも刊行されている"アニメージュ"は,アニメ雑誌として独立して創刊した初の雑誌で,最盛期は二五万部といわれる
        長らく最大部数を誇ってきており,アニメファンの最大公約数的な需要を見込んだ媒体である
      2. "Animec"、は批評的な投稿にその特徴を有しており,一人の読者の投稿が一ページ以上にわたって掲載されることもあり,編集側と読者との論争も多く,自らをアニメ文化の中で特権的な位置におく傾向が見られた
      3. "アニメV"は,OVAを専門とした雑誌であり,ビデオに関する記述は他誌よりも見られ,OVAの紹介やビデオ使用の様々なテクニックの記述もみられる
      4. アニメ雑誌の特徴としてまず挙げられるのが投稿欄の重要 性である
        生産者と消費者の意見 が 交 換 さ れ る 場 と し て ア ニ メ 雑 誌 全 体 が 編 成 さ れ る こ と にな り 、 編 集 は と き に 両 者 を 媒 介 し 、 相 互 交 流 を 促 進 さ せ る よ う に な る
  3. OVAをめぐる構造的条件
    1. OVAの制作状況
      日 本 で 初 め て の O V A 作 品 は 『 ダ ロ ス 』 で あ る 。 当 時 『 う る 星 や つ ら 2 ビ ュ ー テ ィ フ ル ド リ ー マ ー 』 で ア ニ メ フ ァ ン た ち の 話 題 を 集 め て い た 押 井 守 が 制 作 に 関 わ っ た 。 以 降 、 O V A は 一 九 八 四 年 に 六 本 、 一 九 八 五 年 に は 三 〇 本 、 一 九 八 六 年 に は 八 六 本 と 爆 発 的 に 制 作 本 数 を 増 し た
      1. こ の 背 景 に は 、 ビ デ オ を め ぐ る 環 境 の 二 つ の 変 化 が あ る
        1. 一 つ は ビ デ オ デ ッ キ の 家 庭 へ の 普 及 率 が 爆 発 的 に 増 加 し て い る と い う 、 一 九 八 〇 年 代 中 頃 ま で に 整 備 さ れ つ つ あ っ た メ デ ィ ア 環 境 で あ る
        2. ビ デ オ に関 す る 法 整 備 が な さ れ た こ と で あ る
          日 本 ビ デ オ 協 会 の 働 き か け も あ り 、 レ ン タ ル が 合 法 な も の と し て 整 備 さ れ て い き 、 レ ン タ ル ビ デ オ 店 の 数 が 急 速 に 増 加 し 6 た
        3. O V A は 制 作 本 数 が 増 加 し つ つ も 採 算 の 水 準 で い う と 、 制 作 本 数 に 市 場 全 体 が 追 い 付 い て い る と は い え な か っ  た 。 採 算 が と れ る コ ン テ ン ツ は 一 部 で あ り 、 そ れ 以 外 は 制 作 費 を 回 収 す る の も 困 難 だ っ た 。 ま た 、 そ の 市 場 規 模 以 上 に O V A が ア ニ メ フ ァ ン を 超 え て 一 般 に 語 ら れ る こ と も ほ と ん ど な か っ た
    2. 生産人口の制約性
      一九八〇年代のアニメをめぐる状況を考えるうえでもう一つ重要なのが,アニメ制作者のリソース自体が制約されていたということである

      OVAは,一本あたり四五分~八〇分程度が主流であった。テレビアニメはCM等があるため一本あたり二五分であることを考えると,OVA一本につきテレビ二~三本分の労働力が少なくとも必要となる
  4.  「第二のメディア」と「第一のメディア」
    "第一のメディア"とはテレビアニメであり,"第二のメディア"は劇場版アニメであった
    一九六〇年代のテレビアニメは,子ども向けという性質を背負いこまざるを得なかったが,七〇年代のアニメブームを起点として子ども以外のアニメファンの存在が発見されていく
    1. 「第一のメディア」である国産テレビアニメ第一号は一九六三年の"鉄腕アトム"であり,手塚治虫主導で行われた
      そ れ 以 前 に 年 に 数 本 制 作 さ れ る 劇 場 ア ニ メ に 対 し て 、 テ レ ビ ア ニ メ に は 一 週 間 に 三 〇 分 の 放 送 を 低 予 算 で 可 能 に す る た め に リ ミ テ ッ ド ア ニ メ と い う 手 法 が 用 い ら れ た 。 こ の こ と で 、 テ レ ビ ア ニ メ は デ ィ ズ ニ ー の よ う な フ ル ア ニ メ に な る こ と が で き な い ア ニ メ ー シ ョ ン と し て 低 品 質 な も の と い う 認 識 が 成 立 す る 。
    2. 「第一のメディア」で顕在化した問題(新たな視聴者,アニメの質,制作者のリソース)が,このメディアの特性を決定している
      第二のメディアの展開ははじめヒットしたアニメの映画化というものが多かったが,次第にヒットしなかったアニメの敗者復活戦としての性質を帯びる
      そして,新たな視聴者をめぐる意味づけがそこからさらに生まれてくる
      象徴的なのが,"機動戦士ガンダム"の人気を受けて注目された富野由悠季の"伝説巨神イデオン"という,はじめから"中高生向けアニメ"と銘打たれたテレビアニメ作品の劇場化をめぐる言説である
    3. 「 第 一 の メ デ ィ ア 「・」 第 二 の メ デ ィ ア 」 を め ぐ る 流 れ は 以 下 の よ う に ま と め ら れ る 。
      1.  ア ニ メ 雑 誌 や 制 作 者 が 新 た な 視 聴 者 像 を 発 見 す る 。 
      2.  制 作 者 は そ う し た 視 聴 者 層 が い る こ と で 作 家 意 識 を 持 ち 、 自 由 度 の 高 い 方 向 ・ 質 の 高 い 方 向 へ と 志 向 す る
      3.  ア ニ メ フ ァ ン の 側 も 移 行 を 始 め る が そ れ に よ っ て 、 一 般 層 と の 乖 離 が 大 き く な る 。
  5. 「第三のメディア」としてのOVA
    1. 「自由な表現」をめぐって
      第 三 の メ デ ィ ア 」 と し て O V A が 着 目 さ れ た 際 に 繰 り 返 し 提 起 さ れ た の は 、 大 き な 制 約 が あ る テ レ ビ ア ニ メ に 比 べ て 制 作 者 に と っ て 「 自 由 な 表 現 」 が 可 能 な 場 で あ る と さ れ た こ と で あ る

      ビ デ オ と い う メ デ ィ ア と テ レ ビ ア ニ メ の 競 合 が 問 題 化 さ れ る 。 ア ニ メ と い う 文 化 全 体 が 縮 小 し て し ま う と い う 危 惧 は 、 み ん な が 楽 し め る 「 テ レ ビ シ リ ー ズ が 維 持 さ れ る べ き 」 と い う 意 識 を 生 み だ す 。
    2. アダルトアニメという表現
      そ の 心 構 え の 例 と し て ロ マ ン ポ ル ノ と ア ダ ル ト ア ニ メ の 違 い を 語 る 。 編 集 側 は 、 ロ マ ン ポ ル ノ の 場 合 、 日 活 の 側 の ポ ル ノ を 撮 る と い う 制 約 下 で 、 監 督 ら が 「 与 え ら れ た 制 約 を 何 と か く ぐ り ぬ け 」 る こ と で 作 品 性 を 持 ち え た と す る 。 そ れ に 対 し て ア ダ ル ト ア ニ メ 制 作 者 は 「 裸 が 売 れ る 」 こ と を 知 っ て そ れ を 利 用 し て い る と し 「、 T V で 描 け な い よ う な シ ー ン を ビ デ オ で と る た め に 裸 を 描 い て い る と 位 置 付 け 、 そ れ を 誌 上 で 取 り 上 げ る 必 要 は な い と 明 言 す る 。 こ う し た 立 ち 位 置 は ア ダ ル ト 文 化 を 通 し て ア ニ メ 文 化 全 体 を 考 え る よ う な 動 き を 示 す も の で あ っ た 。

      OVA作品は,アニメ文化全体から考えたときに,商業の論理にのっとったテレビアニメでできない"作品"を作る場であるべきという規範が提示されており,アダルトアニメは結局のところ商業の論理に従っているのではないかという批判でもあったのである
    3. 「テレビ的でないもの」をめぐって
      あ る べ き 「 第 三 の メ デ ィ ア 」 と し て の O V A に お い て は 、 テ レ ビ や 映 画 と の 差 異 化 が 目 指 さ れ る こ と に な る が 、 実 際 に は そ れ ほ ど う ま く い っ て い な い

      そ の こ と に 関 し て も 賛 否 が 巻 き 起 こ っ て い た 。 よ り 問 題 と な る の は テ レ ビ と の 差 異 化 で あ る 。 差 異 化 が 目 指 す 一 つ の 方 向 に 押 井 守 の 『 天 使 の た ま ご 』 な ど の よ う に 物 語 の 高 度 化 と い う 志 向 性 を 持 つ 作 品 が あ ら わ れ る 一 方 で 、 も う 一 つ 目 指 さ れ た の は 映 像 の 高 度 化 で あ る

      何 度 も 繰 り 返 し 見 る こ と が で き る と い う ビ デ オ の 特 性 を 利 用 し て さ ま ざ ま な 仕 掛 け を 作 る こ と が 目 指 さ れ 、 ア ニ メ 雑 誌 は そ の 宣 伝 ・ 補 完 機 能 を 担 う よ う に な る

      初 め に 、 「 第 一 の メ デ ィ ア 」 か ら 「 第 三 の メ デ ィ ア 」 と い う 映 像 の 差 異 が 生 ま れ 、 そ こ で オ タ ク 的 な 消 費 と い わ れ る よ う な 消 費 の 仕 方 を 身 体 化 す る こ と に よ っ て オ タ ク 的 な リ テ ラ シ ー と 一 般 層 の リ テ ラ シ ー の 差 異 が 生 ま れ る の で あ る
    4. テレビ的なものへの回帰
      こ の よ う に テ レ ビ と の 差 異 化 を 目 指 す O V A で あ っ た が そ の こ と の 困 難 さ も 露 呈 し て く る 。 映 像 技 術 の 高 度 化 が 志 向 さ れ る こ と に な る 一 方 で ニ、 ッ チ を 狙 っ た 作 品 で あ る と は い え 、 一 定 の 採 算 を と る 必 要 性 も 高 ま る 。 そ の 採 算 を と る た め に 二 方 向 の 戦 略 が と ら れ た 。 一 方 の 方 向 が 監 督 な ど の 作 家 性 に 頼 る も の で あ っ た 。 も う 一 方 と し て あ る 程 度 の 知 名 度 を 持 っ た 原 作 等 に 注 目 が あ つ ま る 傾 向 が 生 ま れ 始 め た
      OVAは,ある程度の商業規模を維持しなければならない結果として,一部を除いて次第に"テレビ的なもの"になっていく。その結果,次第にOVAは,その周縁性を失うと同時にその先端性も失っていく
      OVAは,アニメオタクがデータベース消費のような消費のモードを形成する上で重要な役割を果たしてきたが,オタク的なものの中心としてはその機能を失い,オタクは新たなフィールドを求めるようになっていく
  6. おわりに
    本稿は,一九八〇年代のOVAを取り巻く言説を検討し,オタク的と呼ばれるような消費者意識が形成されるまでを議論した
    1. 今 後 の 課 題 と し て は 三 点 を 考 え る 必 要 が あ る
      1.  一 点 目 は デ ー タ ベ ー ス 消 費 的 な 議 論 が ア ニ メ フ ァ ン ダ ム で 成 立 し た の と 同 様 に そ の 他 の 領 域 で も デ ー タ ベ ー ス 的 な 消 費 が 観 察 さ れ た こ と を 、 い か に 説 明 す る の か と い う 問 題 で あ る
      2. 二 点 目 も こ う し た 歴 史 の ロ ー カ ル さ と デ ー タ ベ ー ス 消 費 に 関 す る 議 論 で あ る が 、 ア ニ メ フ ァ ン ダ ム と い う の が 他 の 領 域 に 比 べ て ど の よ う に 特 異 で あ っ た の か を も 、 類 似 の 文 化 と の 比 較 か ら 考 え て い く 必 要 が あ る
      3. 三点 目 は 、 大 澤 の 議 論 と 関 わ る 問 題 で あ る が 、 オ タ ク 的 な 消 費 と い う の が 他 者 を モ ニ タ リ ン グ し 続 け る よ う な 消 費 で あ る の だ と し た ら 、 そ う で あ る に も か か わ ら ず な ぜ 社 会 的 に 無 価 値 な 閉 じ た 消 費 で あ る と い う 分 析 が な さ れ た の だ ろ う か

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本 稿 で は 、 O V A を め ぐ る 言 説 か ら 制 作 者 ・ 編 集 者 ・ 読 者 が 、 ア ニ メ 雑 誌 内 で ど の よ う な 集 団 を 外 部 と し て 意 識 し 距、 離 を と っ た か を み る 。 東でO V A 「が オ タ ク 向 け 」 ア ニ メ と さ れ る よ う な 文 脈 が 生 じ る 過 程 を 明 ら か に し 、 そ れ が ど の よ う な 帰 結 に 繫 が る か を 論 じ る


2020年11月26日 星期四

〈テレビアニメにみる日本の大衆文化の位置づけの変遷-幸田麻里子〉

  1.  研究の背景・目的
    そこで本研究は,日本におけるテレビアニメの変遷を分析することを通し,日本の大 衆文化の位置づけの変遷を明らかにし,アニメの「聖地巡礼」を成立させた背景を考察 することを目的とする
  2. 日本におけるテレビアニメ
    1. 分析対象とするテレビアニメ
      日本でテレビ放映された最も古いアニメ作品といわれる,1958年の「もぐらのアバン チュール」以降,2000年代の終わりとなる2009年末まで,約50年間にテレビで放映され たアニメ1,231作品について,そのうち 5 分以内のミニ番組やほかのテレビ番組内の 1 コーナーであったもの,および特別番組であった133作品を除き,1,098作品を分析対象 とした
    2. 放映されたアニメ作品数の推移
    3. 時代ごとのテレビアニメの特徴
      1. 1969年以前(1958年~1969年)
        作品として確固たる番組となったのは, 1963年に放映された手塚治虫の「鉄腕アトム」である
        60年代の作品は,手塚治虫をはじめ,藤子不二雄,赤塚不二夫など,人気漫画家の漫 画作品を原作とするものが中心であった少年漫画雑誌が中心で,1966年の「魔法使いサリー」まで,少女漫画を原作とするも のは見られない

        放映時間は,1963年の「銀河少年隊」の17時,同年の「仙人部落」の23時,1966年の 「レインボー戦隊ロビン」の20時,1968年の「佐武と市捕物控」の21時(ただし,本作 品は放映開始半年後より19時台へ移行)の 4 作品を除くと,放映時間が確認できた作品 の残りすべてが18時から19時台に放映されていた。


      2. 1970年代(1970~1979年)
        70年代の作品は,『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』などの少年漫画雑誌に加 え,『週刊少女コミック』『週刊マーガレット』などの少女漫画雑誌,さらに『小学一年 生』などの学年別学習雑誌や児童文学など,その原作は少年少女向けのさまざまなも のへ多様化が見られる。
        ロボットアニメと呼ばれるジャンルの始まりとい われる「ゲッターロボ」が1974年に放映され,以降のアニメジャンルで重要な位置づけ となるアニメ作品が生まれ始めたのもこの時期である。
        放映時間は,19時台が全体の75%を占め,17時台から19時台で95%を超えている
        21時台から22時台に放映された のは,「日本誕生」「いじわるばあさん」「まんが花の係長」であり,いずれも『サン デー毎日』『週刊ポスト』といった,大人向け週刊誌に掲載されたものであった。また, 1979年の「闘士ゴーディアン」は,10時台に放映され,確認できた中では初めて,朝の 時間帯に放映された作品となっている。


      3. 1980年代(1980~1989年)
        80年代の作品は,原作をもたないオリジナル作品の増加が見られるとともに,少年少 女向け漫画雑誌,学習雑誌,児童文学などに加え,『ビッグコミックスピリッツ』『モー ニング』などの青年向け雑誌に掲載された漫画を原作とするものも散見される
        放映時間は,19時台が依然としてもっとも多いものの全体の50%程度となり,一方で 17時台が大きく増え,結果的に17時台から19時台で90%を超えている。また,10時台を ピークに, 7 時台から10時台の午前中に放映される作品が,全体に対しては6.3%と大 きな割合ではないが,これまでの傾向と比べると,大きく増加している。


      4. 1990年代(1990~1999年)
        90年代の作品は,1990年の「PEACH COMMAND 新桃太郎伝説」がゲーム『桃太郎 伝説』,1995年の「ストリートファイターⅡV」が『スーパーストリートファイターⅡ V』といったように,人気の家庭用ゲーム機のソフトやコンピュータゲームを原作にし たものが目立つようになる。
        さらに,その定義はあいまいながらも「ライトノベル」と近年呼ばれている,中 高生をターゲットとしているといわれ,挿絵やイラストが比較的多い小説を原作とした ものが現れたのもこの時期である。

        この時期のもっとも大きな変化は,深夜の時間帯に放映されるアニメの増加 である。80年代までは,分析対象とした作品で,もっとも遅い時間に放映されたものは, 22時台または23時台であった。80年代にはミニ番組や特別番組として,24時を超える時 間に放映される作品が散見された

        1992年に『近代麻雀オリジナル』と いう雑誌を原作とする「スーパーヅガン」を皮切りに,24時を超える時間に放映される ものがみられるようになったのは,この時期である。1997年には25時以降のアニメ放映 枠ができ,同年には 1 年間に12作品が24時以降の深夜に放映されるようになった。こう した動きの結果として,90年代に放映された作品の13.6%が24時以降に放映された。


      5. 2000年代(2000~2009年)
        2000年代の作品では,18歳以下を禁じ たアダルト向けゲームを原作とするなど,内容においても完全に大人だけを対象とした ものがみられるようになった。
        放映時間は,作品数としては,これまで継続して最多であった夕方の作品が減少し, 午前の作品が増加,そして深夜の作品が急増した。作品数が午前の作品は,90年代と比 べて約 3 倍となり,深夜の作品は10倍以上で,全体の半数以上を占めるまでとなった


  3. 考察
    1. 日本のテレビアニメの原作にみる変遷


    2. 日本のテレビアニメの放映時間にみる変遷
      日本のテレビアニメの放映時間は,1969年以前,1970年代は95%以上という,ほぼす べてが夕方の時間帯が中心であった。80年代に入り,午前の時間帯が増え始め,時代と ともに増加傾向にある。90年代になると,24時以降の深夜の時間帯の作品が現れ,2000 年代以降は全テレビアニメ作品の半数以上を占めるようになった


    3. テレビアニメにみる日本の大衆文化の位置づけの変遷
      大人を対象とした,深夜の時間帯の作品は,アダルトコンテンツなど,その内容とし ても大人向けであるものがある一方,少年少女向け漫画雑誌に掲載されている作品を原 作とするものも,この時間帯に放映されるものが多くある。このことから,現代におい て少年少女向けの漫画は,少年少女だけのためのものではなくなったのではないかとい える。そして,漫画とテレビアニメが大衆文化の一端を担う,大人も楽しめるものに発 展したのではないかと考える。 

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作者列出00年代前的動畫播放時間,來證成動畫受眾的年齡逐漸擴大
但是我覺得深夜、下午的區分有點淺薄,畢竟青少年(國高中)有可能也會放在下午,跟國小幼稚園時段接近,這中間應該分三群受眾來討論
另外如果可以把這一千多部的題材一個一個整理,我覺得更精彩
最後OVA應該一起討論才是

2020年11月25日 星期三

〈アニメおたく(オタク)の形成におけるビデオとアニメ雑誌の「かかわり」 一一アニメ雑誌 「アニメージュ 」の分析からー永田大輔〉

  1. はじめに一一おたく/オタクという表象とビデオ 
    この奇妙な二人称がある人々をさす言葉としてマスメディ アに初めて登場するのは1983年のことであり,当時は平板名で「おたく」と されていた。
    中森は,今までにあったマニアや熱狂的ファンやネクラ族といった言葉に対し て,より広く人々もしくは現象全体として名指す言葉としておたくという言葉を 選んだという。
    ここで中森はこの特殊な二人称で呼び合う fキモイ」人々を「発見」したとい う。
    その言葉のメジャー化というのは決してポジティブなものではなかった。その 取り上げられかたはある幼女連続殺人事件の容疑者となった当時26歳の男が,「お たく」的な趣味を持っていたということに注目が集まったというものである。そ の「趣味」と「危険な性的」帯好をもった殺人者というイメージが結びつく。こ れによりいわゆるモラル・パニックに近い状態になった。
    1. 宮崎事件
      「性的倒錯=おたく=ビデ オ」というものを一本の線に結び付けてしまったのではないだろうか。少なくと も等号の後半部であるおたくとピデオというイメージの結びつけというのは,強 固なものであったと患われる。
    2. オタキングを名乗る岡田斗司夫
      彼はこれまでの平仮名書きの「おたく」 という記述から窓i型的にカタカナ書きで の「オタク Jへと変更するという戦略をとる。
      ここで注目に値するのは,性的な倒錯者であるという「おたく」像と,それに 対して本質的なのは「高度なリファレンス能力」のほうにあるのだという「オタ ク」像にしろ,その起源となるイメージとして80年代前後に認識されるようにな ったある程度ボリュームをもった集団を想定しているということである。そして どちらの〈表象〉にも結び付けられているのがビデオというメディアなのである。
  2. 先行研究と分析視覚
    1. おたく/オタクをめぐる先行研究
      1. ここで批評的/アカデミックという区分自体が意味を持つのであろうかという 問題はあるが,ここで両者の特徵というものを便宜的に記述しておくとするなら ば,それは批評というものはおたく/オタクというものを分析するというよりは 戦略的に書き換えるような志向性を持った言説であるということができる
      2. これに対しでもう一つの代表的なアプローチとしてオタク的な共同體に対する ファンダム研究の領域をあげることができる。
        第一の問題点としてあげることができるのが,そ のフィールドがおたくの実態、であるのかという問題である。ただ,この点に関し てはそもそもおたくというものが可らかの実態を持って存在していると た場合には決して避けることの出来ない反論ではあるだろう。むしろ問題にすべ きなのはこの反論のさけられなさの方である。
        もうーつ考えなければならないの は,仮に実態としてのおたく/オタクがそのフィールドと等号を結びつけられた としても,そこで検討されているフィールドというものはおたく/オタクという 言葉の持っている歴史性に対して言及することができないという問題がある.こ のことはその反駁したおたく橡というものが時代に合わなくなったから違うもの になったのか,もともとその診断が誤りであったのかということを問題化できな し
      3. 本論で試みる位置取りと言うのは「言説としてのおたく」と「実態としてのお たく Jという二項対立的な立場の片側だけを見ることだけでは見ることの出来な い水準の分析をするということを試みる。
    2. 理論的分析視角(キットラーとフーコーの議論から) 
      こうしたイメージを考える上で重要になるのがその特定の消費者像の構築に関 してだ。ここで注目するべきなのは,岡田の指摘するオタクというものの誕生に 重要な意味を持つというアニメ雑誌とビデオというこつのメディアである。本論 ではその二つのメディアがおたく/オタク像の形成にいかなる意味を持ったのか という三つの変数について考えることにする 
      1. 本論での課題はテクノロジーとテクノロジーの馴致というそれぞれ異なった性 質の二つのメディア間の「かかわり Jの向こう側に析出されていく「汚辱に塗れ た人々 jとしての「消費主体としてのオタク像」のイメージが立ち現われていく 様を描き出すことにある。
    3. 分析対象と問いの設定
      1. オタク向けアニメという ものは(1)オタク的な消費者層がイメージとしてある程度持つことが形成されてお り(2)そのオタク的な消費者麗が好むようなアニメがある程度のボリュームを持っ て形成されたというこ段階の状況が必要となるということである。そしてこの状 況ができあがったのが80年代ごろであったと論じたうえでその閉塞を乗り越えていく可能性として庵野秀明の「新世紀エヴァンゲリオン」を評催するという論文 となっている。
      2.  「オタク向けアニメ」/ 「子ども向けアニメ」と名指されうるコードとそれと 結びつけられた消費者像がいかにして投稿欄やアニメ雑誌上に浮かび上がってき たのかということを問題イとする。そこでおたく/オタクと名指されうるイメージ の源流がいかにアニメ雑誌上に表象されてきたのかということをメディアとの 「かかわり j とともに論じていきたい。
  3. ビデオとアニメ雑誌の「かかわり」
    1. 新たな 「アニメファン」をめぐる混乱
      初期のアニメージュのターゲットの定まらなさというのは一体どのようなもの であったのだろうか?
      ここで言われているアニメファンというのはいわゆるヤマト以降に爆発的に増 えたものであり,その実態というものを掘めていなかったので「最近アニメのフ ァンJになった人々に対して教育的な意図のある記事がいくつもあったのだ。そ の捕まえられなさを象徴するのが初期アニメージュの読者械における対立軸であるということができるだろう O そのこ項対立に関して次節では論じていくことに したい
    2. 従来のアニメファン/ミーハーなアニメブーム以降のファン
      従来のオタク論をめぐる議論においてオタクというものを大 量に生み出したという起点として語られる 宇宙戦艦ヤマト であるが,当時に おいてはむしろアニメブームできたユーザーというのがむしろ「ミーハー」なも のとして位置づけられていたということである。
      ここでの対立軸としてしばしば持ち出される,最近のアニメファンやアニメは f動き Jを軽視しているという言ー説は今を嘆いているようでありながら,実際に 仕掛けているのは,告分はこんなアニメを消費してきたという 差異化のゲーム である しかも,この差異化は「古くからアニメを見てきたj というアーリーア ダプターの慌が「アニメブーム以降jのラガードに対して仕按けたゲームである

      では こうした対立の構造というのが安定fとするく条杵〉とは純だろうか。それはアニ メというものが,一般のユーザーにとっては一度見逃したものはもう見返すこと ができないというものとしてあったということである O その〈いま,ここ〉でし か見られない構造というものが解決するためには,あるメディアの;誕生を詩=たね ばならず,そのメディアに対する欲望というものは次第に高まっていくことにな る。それがピデオである O
    3. ビデオの普及状況に関して
      調印が言う近代おたくというものの誕生において,決定的な影響を与えたとい うのは家庭用ピデオである。市販の家庭用ビデオとして初めて出てきたのは76年 のパナソニックの VX-2000であるとされている。中でも盛期的な機教が発光さ れたのは, 1980:年7丹になってからである O その当時:のビデオというのは,館段 にして30万円前後であり,当時の中学生・高校生というものが容易に手に入るよ うなものではなかったといえる。実際にアニメージュが創刊された当時のビデオ 普及率は決して高いものであるとは言えなかった。

    4. 「テレビを録る」ということの欲望をめぐって
      欲望を裏付けるものとして実際にアニメをとることに対する欲望の高まりを見 ることができる事例がある
      このようにアニメの写真やカセットテープを録ることはかなりメジャーな行為 として見られていたようである O そのことを見るうえで象徴的なのが1983年 6月 の投稿欄の投稿である 
      1. 近頃ビデオの所有率が高くなり,アニメのビデオソフトも続々と販売され る時代が来たというわけです。そこでぼくは,いままで集めた伝言板〈貸し てください〉のコーナーではどのくらいピデオが普及しているのか,またカ セットテープとの比較をしてみたいと思い調べてみました。
      2. この投稿者の集計ではカセットが149本であり,ビデオテープが108本(うち V H S 59ベータ 26その他・両方23) ということであった。もちろん,このことが統 計上何らかの意味を持つのではない 
        1. ピデオというものが読者檎に登場す るのが81年になってからのことであるので, (普及率〉などというものを知るべ くもない。
        2. ここで前提とされていることが二つあるのである
          1. 第一にカセットテ )プよりもビデオに肉薄しているということが驚くべきこととして受け取られて いるということである o
          2. もう一つはピデオ とカセットを比較できるという感覚についてである 
             この比較が成り立つという ことは前者のカセットがビデオのオルタナティブ的な消費行動であると捉えるこ とがある程度メジャーであったということである
  4. 「おたく/オタク」イメージの形成
    1. 「子供向けアニメ/オタク向けアニメ Jというコードの分化
      東の言うようなオタク向けの80年代アニメの成立というのが意識されるように なるのは一体いつごろになってからなのであろうか。それは子ども向けとはズレ た,消費層というものを意識するようになってからである O それがコンテンツレ ベルで、最も初めに現われたのはガンダムのテレビシリーズを終えたあとの富野監 督らがイデオンで初めから"中高生向け"を押し出して展開したというところに見出すことができるだろう
    2. コストの制限によるセレクション
      ピデオの普及期においてはテレビをビデオに録るということは非常に大きなコ ストであるということは先述したとおりである
      「そうしてまで見たいアニメ Jというものは必然的にある程度一話完結的なも のよりはストーリー性の大きな SFものなどが選ばれる傾向になるのである O こ うした視聴行動を前提として繰り返しみたり,アニメ誌で設定を確認することが 可能であるということを前提として作られるようなアニメが現われはじめること になる O
    3. 「おたく/オタク的消費の仕方」の誕生 
      このような細部の拡大というものもビデオの普及によって成立しており, I見 方jというものに注告が集まったのはピデオによってであるということができる o そこではアニメーターはしばしば役者と表現されるようになりつつあるのであ る。そしてそのアニメは咲{象が保存できないときにはこうした視聴行動というの は原理的に不可能であったのである。
      その中高生アニメと子ども向けアニメというのが十分に分化してしまったあと にはその「何を見るのかj という対立軸ではなく「どうみるのかj ということで 差異を際立たせようという主体像がアニメージュ仁に表象されることになったの である
  5. 「汚辱に塗れた人々」と「おたく/オタク」という主体像 
    ここで描き出したイメージが"おたく"というイメージの全体性と いうわけではない。こうしたイメージが中森の"おたく" という名付けを持って 地のイメージとともにより大きな「おたく Jという消設主体識という一つのイメ ージを形づくっていくことになるのである O
    そして一変外部に解き放たれたイメ ージは諮費社会とかかわることになる。また別のメディアとの「かかわり Jの中 で記述されることが要請される O 本誌で扱ったのはその外部に解き放たれる 夜前 の一つの消費主体のイメージが立ち現れてくる瞬間に掬してなのである O

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本論で注目するのは創刊号からおたくという言葉が初めて誕生するまでの時期 のアニメ雑誌"アニメージュ"五年分を分析の対象として設定することにした い。

該文以動畫雜誌中關於錄影帶的討論,形構出一個御宅的動畫消費方式
雖然我不知道這要怎麼跟"汚辱に塗れた人"連結就是了