2020年10月31日 星期六

〈淺論福寇:語言、陳述、歷史〉王德威

  1. 文明與瘋狂
    福寇大體接受了德希達對與語言功能的質疑,諸如語言牽延本物核心意義的表達,以及連帶的反本體論觀等。他尤其反對把語言當作一個清晰透徹的媒體,能將事物本相一成不變反映出來這類淺薄的理論
    1. 文明與瘋狂為福寇立論的起點
      1. 從瘋狂定義的轉變,我們得知每一個社會或文化都有駕馭其成員思維、行動、和組織的規範或條例
        福寇在此沿用了語言學裡的詞彙,稱這些規範或條例所鑄成無形或有形的結構為陳述,以取其表明傳達訊息之義。一個社會中的各個層面都有他們特定的陳述存在,而這些陳述組合起來,就成為一個縝密的網。
      2. 陳述的功能不僅在建立陳述者(立法當局、社會輿論、禮教傳統等)與其聽眾(社會成員)的密切關係,且在其訊息傳遞的過程中,暗含了權力的施加和承受的意義。
      3. 每一個時期的"知識領域"都是各自獨立的,互不相屬的。一反傳統史學主張在各個時代社會間找出一個起承轉合的連續性。
      4. 所謂理性一詞的產生,並不代表我們的知識領域中有一不可變易的"真理"存在
        理性只有在與瘋狂相對立時才能顯出其意義;只有我們在排除瘋狂者於社會之外,才能界定社會內之理性的真確性與權威性。
  2. 事物的秩序?語言的秩序!
    福寇討論語言與社會文化及知識領域間關係最詳細的一本書首推"事物的秩序",在該書福寇指出近代知識的起源是文藝復興時代,而這與人類重新認識語言的功能有著密不可分的關係。這裡所謂的"知識",是指我們觀察世界萬物時,欲自其中歸納出一些調理秩序的企圖。
  3. 陳述
    1. 陳述意指談話時,說話者將其理念或訊息以一可以辨認而又組織完整的方式,傳送給一聽者的過程
      而福寇擴大其定義,泛指人類社會中所有知識訊息之有形或無形的傳遞現象,而社會各個層面的陳述相互連結,形成一個可以辨認的陳述結構。
    2. 陳述的排他性
      1. 陳述必定包含許多的禁令,以限制其意義的蔓延
      2. 陳述企圖釐清理智與瘋狂的界線
      3. 陳述特重真與偽的區別
    3. 陳述的內部
      "稀釋"是使陳述看起來卓有創見,言之成理的必要功能,更是建立起陳述之有始有終效果的必要手段,在此一稀釋的功能下,亦可找出三大方向
      1. 評論
        所謂的評論是指陳述的產生都是對前己存在之陳述的一個反響,一項詮釋
        各宗教、法律、文學乃至科學等方面的陳述,均強調這一評論的功能,使我們感到每一陳述都是其來有自,而非偶然下的產物
      2. 作者觀
        沒有一部作品可以被孤立於其他作品之外的。它的意義必須在與其他作品及陳述互相參照印證下,才能顯現。同理可證之其社會的其他陳述。各個陳述之作者有形或無形的存在,都是陳述本身所創造的幻象。作者觀僅為陳述提供了一不實但近便的意義源頭
      3. 規律
        他代表一套不言自明的真理,是陳述產生的前提,但規律本身卻非一成不變的真理,他亦包含了不為一特定知識領域所察覺的錯誤
    4. 四個研究陳述的門徑
      1. 陳述的可逆性
        現在奉為圭臬的真理,並非一成不變的,而是隨著各時代、知識領域的變動而解體或重組
      2. 陳述的斷續性
        在同陳述一結構下的各陳述都有它自己的界限範圍,往往互相競爭排斥,因此陳述本身也不斷的分化演進
      3. 陳述的特殊性
        陳述是我們有意強加於事物上的一套特殊意義,是我們企圖使大千世界產生秩序的一種行為
      4. 陳述的外延性
        一項陳述只為我們建立了所謂真理的範圍及使其意義作用的特殊規範而已
  4. 歷史考古學-福寇的貢獻
    1. 提醒我們人類歷史中沒有所謂放諸四海皆準的真理與規範,以及人類歷史演變中,存在著無數的空檔,一些的傳統感或連續性都是人類的一廂情願
    2. 我們能以一個新的立場去分析每一個知識領域的特色,從而發掘各個大小陳述間的特色及組成架構
    3. 喚醒我們沉迷於語言表象功能的美夢,促使我們重新認識符號系統的功能與侷限

覺得這篇文章想要討論什麼?
把福寇對於語言、陳述的一些概念作一主要的介紹

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我覺得文明與瘋狂那邊的分期介紹有點不懂,但是做為一個福寇入門還算是挺不錯的

2020年10月25日 星期日

〈「オタク」史を開拓するー一九八0年代の「空白の六年間」をめぐって-山中智省〉

  1. 「おたく」史の「空白の六年調」について
    ここで中森は、特に「おたく」という言葉が世に出たとされる一九八三年と一般化したとされる八九年を焦点しており、各々に対して関連事項を踏まえた言及がなされている。 
  2. 中森明夫品「『おたく』の研究」から「おたく」論議へ
    1. パソコン誌「ログイン」(エンタ ーブレイン)同年八月号の「ニッポン放送のヤングパラダイス一一三宅裕司の潜入ルポ おたく族を探る日」と題された特集記事では、四ページに渡って多彩な「おたく」の具体例が紹介されるととともに、「おたく族っていうコトパのルーツはなんや?」というコラムが設けられ、中森のインタビューが掲載されている
      なお、特集記事の本文には「誰にでも、おたく族の心は存在するということだ。このべージでは、おたく族を虐待しているのではないのだ。どちらかとゆ!と礼賛しているのではないかねーといったところである」という記述が見受けられる。
  3. 「おたく」発信地としてのコミックマーケット
    1. 第一回『おたく』の研究」から半年程で、コミケット準備会の公式発行物に取り上げられるほど「おたく」という一言葉はコミケに波及していたのである。
      「コミケットロ グ カタ25」に掲載された漫画作品集「コミケットセレクションお」の広告に、少女が「おたく」を嫌がるイラストが描かれている
    2. サブカルチャー誌「宝島」(宝島社)八四年三月号の「漫画同人誌大集会に2 万人。マニア的自閉症児が増殖中!?」がある。この記事では「おたく」という雷葉の出告を中森「おたく」の 研究」であると解説しており、「おたく」の定義についても「おたく」の研究」と多くの共通点を持っていた。
      さらに同年一 O月号の「巨大化した漫画同人誌フェスティバル「コミケ」のビョ!キ度報告ロリコン系エロ、ネタに人気が集中川どでもこの傾向は変わらず、ロリコン系同人誌を求める「おたく族」は「現実よりも虚構のヤラシ一事に感じちゃうってのちょっと救い難いものありますねえ」と評されている
  4. 「新人類」言説全盛時代の「おたく」
    新人類」一言説全盛時代の「おたく」は、「関係性の病」を持った特異な「新人類」として捉えられていたのである
  5. 「おたく」言説における「おたく」差別の様相
    「正統派」の「アニメ族」にとって、その差異は非常に重要なものであったようだ。「『おたく』の研究」以降、「おたく」言説には「〈オタク〉による〈オタク〉語り=〈オタク〉の自己言及」といった様相が見られた一方で、「おたく」を自己とは差別的に扱う態度が見受けられるようになっていく。
    問題視される「マニア」の中でも「おたく」は別格の扱いを受けていたのである
    1. このように捉え直すと「正統派」の「アニメ族」の異議申し立てとは、「月刊OUT 」に見られた「おたく」との差別化や、外部からの「不名誉なレッテル」に対する危機感といった諸々の要素を体現するものであったことが分かる
  6. そして八九年へ
    そして「おたく」という言葉が一般化する直前八九年は、大手週刊誌に取り上げられるまでになった際に,その捉えられ方に大きく二つのパタ—ンが存在していた。それは①女性(あるいは男性)にもてない、②犯罪を招く、の二点である。 
    その結果、これまで見てきたように、この六年間に「おたく」という一言葉は「おたく」とされた人々の内外ですでに流通し、複雑な様棺を呈していたことが明らかとなった。当時「「おたく」という言葉は「おたく」の間で主に流通していた」とする安易な見方は、今後見直していく必要があるだろう。 

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一般討論OTAKU通常會直接從83年跳到89年,然後結束80年代的討論,但這篇補足了中間的部分,對於OTAKU的脈絡與意涵的流通有了很顯見的證據,但從討論中可以看到OTAKU並不是這套負面意涵的源頭,僅僅是從中加入的支流而已,這反而更好奇其源頭從何而來,那我覺得ロリコン這個詞也許是個線索。

2020年10月24日 星期六

《オタク文化論-佐々木隆》第2章 オタクの変遷

  1. オタク5世代
    1. オタクのライト化
      DVD の普及やパソコンの低価格化が進み、ネットによる作品情報が入 手できるようになるといった変化が進み、参加の障壁が低くなることに よって、若い世代を中心とした『ライト』なオタク層の参加が起こる。 この若い世代が成長することにより、オタク層が数としても年齢として も幅が広がりと存在感を持つようになり、徐々に社会的に認知されるようになる
  2. オタク第1世代 1960 年代前後生
    新人類、しらけ世代 ウルトラマン、仮面ライダー、マジンガーZ、怪獣ブーム、 変身ブーム、特撮
    1. TV 映画『月光仮面』(1958)
       TV アニメ『鉄腕アトム』(1963)
      『マッハGOGOGO』(1967)
      ウルトラマン(1966)
      『8時だョ!全員集合』(1969-1985)
      仮面ライダ ー(1971)
      マジンガーZ(1972)
    2. この世代の大きな特徴は、TV と共に成長し、少年少女時代の1970 年に 大阪・万博により未来社会にあこがれを抱いた世代
      今ではデジタルコンテ ンツの普及に右往左往しながら、社会では活躍している世代ではないだろう か。成長期においてはPC やインターネットとは無縁であったが、30 代では インターネットの影響を強く受け、独学の末でこうしたツールの活用をして いる世代であろう
  3. オタク第2世代 1970 年代前後生
     80 年代のテレビゲーム、パソコン趣味の 担い手 宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダム
    1. 『宇宙戦艦ヤマト』(1974)
      サンリオのハローキティが誕生したのも 1974 年である
      映画『スターウォーズ』(1977)
      『機動戦士ガンダム』 (1979)
      1983 年には東京ディズニラーランドが開園し、任天堂 がファミリーコンピューターが発売された。通称ファミコンは家庭用ゲーム 機を定着させたといってもよいだろう。セガも同年にSG1000 を発売している
      任天堂は1985 年に『スーパーマリオブラザーズ』を発売
  4. オタク第3世代 1980 年代前後生
    メインカルチャーとサブカルチャーの差が 薄れた世代 美少女戦士セーラームーン、新世紀エヴァンゲリオン
    1. 『となりのトトロ』(1986)
      『DRAGON BALL』(1986)
      『美少女戦士セーラームーン』(1992)
      『新世紀エ ヴァンゲリオン』(1995)
    2. 闘う女の子として新しい分野を形成することとなる。その先駆者が『美少 女戦士セーラームーン』ということになる。この流れは現在まで続き、『プリ キュア』シリーズ(2004)へと引き継がれている
    3. デジタルコンテンツの分野では 1979 年 にソニーのウォークマンが発売された
  5. オタク第4世代 1990 年代前後生-インターネット世代
    PCもWindows95、Windows 98 を経て、Woindows ME、XP と OS も次々と進化しており、1992 年には商用インターネットサービスも開始 されている。これに伴い、携帯電話の普及とメールも 90 年代にはすっかり 定着した。さらに、デジカメ(デジタルカメラ)はカシオから発売された QV-10(1995)の定価は65000 円、当時のWindows95 のブームと相まってデ ジカメブームの先駆けとなった
    1. 1994 年にはソニーのプレイ ステーションが発売されている
      『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)
       『Ghost in the Shell/攻殻機動隊』(1995)
      『ポケットモンスター』(1997)
      『もののけ姫』(1997)
      『遊☆戯☆王』(1998)
    2. ネットオタク
      いまでは日常生活の一部化しているインタ ーネットも、普及し始めた頃はインターネットに夢中なる人を指して「ネットオタク」という言葉もあった
    3. 日本のアニメが世界中に放映・配信される契機となったのが大友克洋監督 『AKIRA』である。1990 年に全米で、1991 年には英仏独で公開され衝撃を 与えた。以降、日本のアニメが積極的に紹介されるようになったと言っても 過言ではない
    4. 岡田斗司夫が東京大学教養学部でオタク文化論を開講したのは 1996 年のことである
  6. オタク第5世代 2000 年代前後生 
    両親がオタク文化に慣れ親しんだ世代
    1. ダグラス・マク グレイのジャパン・クール論(2002)
      日本アニメーショ ン学会設立(1998)
      ポップカルチャー学会設立(1999)
      日本マンガ学会設立 (2001)
      文化芸術振興基本法(2001)
      日本デジタルゲーム学会設立(2006)
      マンガを冠した大学や学科が着実に増えている。2000 年の京都精華大 学マンガ学科を皮切りに、この10 年で大阪芸術大学、宝塚造形大学、 東京工芸大学、神戸芸工大学、文星芸術大学、別府大学など、芸大系を中心に展開
    2. 野村総合研究所オタク市場予測チーム『オタク市場の研究』(2005)
      近年、日本のアニメやコミック文化が、「ジャパン・クール(Japan Cool)」 という表現とともに海外で高く評価されるようになり、海外での評価に 「弱い」日本国内の世論に、アニメやコミック文化を再評価する機運をも たらすきっかけになった。 このような社会的な背景もあいまって、オタク存在が社会的にも認めら れるようになったと考えられる

2020年10月23日 星期五

《オタク文化論-佐々木隆》第1章 「オタク」とは何か

  1. オタクの誕生と発見
    1. 大澤真幸「オタクという 謎」
      1983 年に「オタク」が発見されたということは、オタクは、それより 少し前、つまり1970 年代のごく初頭を起源としている、と考えるのが 妥当であろう
  2. 幼女連続殺人事件の影響
    東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(広 域指定第 117 号事件)は 1988 年 8 月から 1989 年 7 月にかけて宮崎勤 (1962-2008)が引き起こした事件で、2008 年6 月に死刑が執行された。
  3. オタクの定義
    1. 『広辞苑』(2008、第6 版)
      (多く片仮名で書く)特定の分野・物事にしか関心がなく、その事 には異常なほどくわしいが、社会的な常識には欠ける人。仲間内で相 手を「御宅」と呼ぶ傾向に着目しての称
    2. 西尾実他編『岩波国語辞典』(2009、第 7 版)
      自分の狭い嗜好的趣味の世界に閉じこもり、世間とはつき合いたがら ない(暗い感じの)者。「パソコン―」▷普通は仮名書き。(2)の転。一 九八三年に中森明夫が「おたく」の研究で言い出し、九〇年代からはサブ カルチャーとして積極性を帯びても使う。「私は紫式部オタクです」
    3. 『現代用語の基礎知識』(2009)
      1. 「くらしと経済」分野
        もともとは特定分野のみ強い興味と深い造詣をもつ社会性の低い者を指 し、社会的非難の対象だった。、、、当初は鉄道オタクやアイドルオタクなど、さまざまな分野のマニアに対して使われていたが、現代では主とし て強烈なアニメ・マンガファンに対して使われる。、、、キャラクターに恋 する「萌え」が生まれ、2 次元との恋愛という新しい境地に達するオタク が増えてきた
      2. 「マンガ文化」分野
        オタクとは1980 年代前半から使われはじめた用語で、一般に、趣味 に異常な執着を見せる個人や類型を指す。マンガやアニメなどの趣味 に限って使われることもあるが、趣味の種類によらず使われることも ある
    4. 東浩紀『動物化するポストモダン』(2001)
      コミック、アニメ、ゲーム、パーソナル・コンピュータ、SF、特撮、 フィギュアそのほか、たがいに深く結びついた一群のサブカルチャー に耽溺する人々の総称である
    5. 古賀令子『「かわいい」の帝国』(2009)
       「オタク」とは、主にアニメやゲームやパーソナリコンピュータなどサ ブカルチャーに没頭する人間を指す言葉で、中森明夫の「「おたく」の研 究」(一九八三)で紹介され、一般化した。初期(一九八〇年代)には、 独身の日本人男性に対して用いられることがほとんどだったが、近年で は、女性や既婚男性、外国人にも用いられるようになり、ややカルト的 な趣味や学術的な趣味を持つ人に用いられることが多い。近年では「オ タク」の語が一般化しており、「オタク文化」はサブカルチャーとほぼ同 義で用いられて、「オタク学」なる語も登場している。
    6. 野村総合研究所オタク市場予測チーム『オタク市場の研究』(2005)で は「『オタク』の定義の変遷」を図表としてオタクの種別化と年代変遷をそれ ぞれ縦軸と横軸に次のように示している

    7. 大澤真幸「オタクという謎」(2006)でオ タクについて次のように定義されている
      オタクは、無論、アニメ、マンガ、コンピュータ等の特定の主題で区画 できる領域に没頭する人々である。
    8. オタク定義-インターネットの「同人用語の基礎知識 おたく/オタク/Otaku」
      「おたく」とは、アニメ や マンガ、ゲームなどに強い興味と関心と、 しばしば深い知識と造詣を持つ、独特な「趣味人」に対する俗称の ひとつです
    9. 英語圈子則以"wapanese(Weeaboo)"來稱呼,有負面意涵
  4. 「おたく」と「オタク」
    1. ここでは京都大学大学院文学研究科現代史学専修の永井和氏が 2004 年前期に担当した「現代文化学基礎演習Ⅱ」の講義録とし て「『おたく』と「オタク」の違いとは何か?」について次のように掲載して いる

      "「おたく」とは主に80 年代においてサブカルチャーを消費して楽しむ 人を指し、「オタク」は90 年代になって情報そのものより、イラストや 物語設定を単独消費する人。主に男性を指す。"

      「おたく」が宮崎勤幼女連続殺人事件の後を引きづる 一方、日本のマンガ/アニメが海外で高く評価されるようになると、ある特 定の人達にはotaku として知られるようになり、「おたく」は「otaku」とし て知られるようになり、「おたく」は海外進出に伴い「オタク」として表記さ れるようになったと考えてもよいかもしれない。社会全体が「おたく」を積 極的に受け入れようとした時に「オタク」と表記しているのではないかとも 思える

2020年10月18日 星期日

〈コンテンツ消費における「オタク文化の独自性」の形成過程-―― 一九八〇年代におけるビデオテープのコマ送り・編集をめぐる語りから-永田 大輔〉

  1. はじめに
    本稿の目的は,オタクと呼ばれる文化集団のコンテンツをめぐる消費文化が,どのように独自とされる領域として形成されたのかを明らかにすることである
    1. ここではオタク文化の独自性として,アニメファンのコンテンツ消費の高文脈性の成立に着目する
      それをビデオというテクノロジーが可能にした「テレビの能動的視聴」という観点から三つの段階として考える
      1. 第一に従来のアニメ視聴者とは区別されるビデオという技術が可能にした能動的な視聴を志向した集団の成立である
      2. 第二に能動的な消費をしていることがマーケティングする側に予期されることである
      3. 第三に通常のアニメファンとは違った集団がいると認識されていることを,新たな消費を行う側が認識し,さらに新たな消費様式を作ることである
  2. 先行研究・分析視角
    1. ファン研究
      本 稿 が オ タク と い う 文 化 集 団 を 議 論 す る と き に 意 識 す る の は、 そ の 内 とぐ る 文 化 が 形 成 さ れ て い く ま で に 、 ど の よ う な 相 互 行 為 が なさ れ 、 ど の よ う な 意 味 づ け が さ れ た か で あ る
    2. オタクのコミュニケーション志向性に関する研究
      本 稿 は 、 オ タ ク 独 自 の 消 費 文 化 の 形成 の 様 子 と そ の 形 成 に 際 し て コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン が 独 自 の 要請 の さ れ 方 を し た こ と に 関 し て 、 歴 史 社 会 学 的 に 明 ら か に する
      こうした内部でのコミュニケーションと消費の結び付けられる形成過程を見ることで,外部からの三次元の語られ方につながる端緒を明らかにする
    3. オタクの語られ方に関する研究
      新たなテクノロジーを再解釈する中で,どのように言説メディア上に記述された人々の日常的実践の技法が,コンテンツ消費をめぐる文化という形で表れたのかに着目する
  3. 分析対象
    七〇年代後半から,アニメ雑誌が雑誌の一つのジャンルとして成立する
    本 稿 の 分 析 対 象 は 、 一 九 七 八 年 に 創 刊 し ,八 〇 年 代 を 通 して 売 り あ げ 部 数 に お い て 最 大 部 数 を 記 録 し 続 け た『 ア ニ メ ージ ュ 』 創 刊 号 か ら 九 二 年 一 月 号 ま で と,八 四 年 に 『 ア ニ メ ディ ア 』 の 増 刊 と し て 発 売 さ れ 、そ れ か ら 季 刊 と な り 最 終 的 には 月 刊 誌 に な っ た 『 ア ニ メ V 』 の 五 年 分 で あ る
    投 稿 欄 に は 感 想 だ け で は な く ビ デ オ の 使用 実 践 に つ い て 書 か れ て い る 他 、 通 常 の 媒 体 に 比 べ て 、 ビ デオ の 使 用 法 等 に 関 し て 紹 介 す る 頁 が 多 く 設 け ら れ て い る
  4. ビデオの普及環境に関して
    ビ デ オ デッ キ は 、 八 〇 年 代 に 爆 発 的 に 普 及 し 5 た 。 そ の ビ デ オ デ ッ キ が普 及 し き っ て い な い 過 渡 期 な ら で は の 消 費 を 考 え る こ と が 重要 で あ る
    ビデオに関して共同体的な消費形態があることを前提としたうえでの消費状況について考えなくてはならない
    1. アニメ雑誌では"アニメージュ"ビデオの普及率が低い段階から,テレビを録画する欲望が見られた.その欲望を満たすため,アニメをカセットテープで音声だけでも録音したり,テレビの再放送をカメラで写真にとったりするなどの消費がみられた
      また,何も録画されていない"生テープ"自体が高価であったことを条件として鑑みることが重要である
      ビデオテープ(あるいはテレビを録音したカセットテープ)の貸し借りや交換などの募集が,投稿欄上でなされ,その中から徐々に集団意識を立ち上げていった
  5. コマ送りが可能とする視聴実践
    この"素敵な絵を発見する"欲望は必然的に二つの帰結を導く
    一つはビデオをめぐる消費者と制作者の距離感を変えていくことである。ここで行われたような消費の傾向を制作者 の 側 が 予 期 し て 、コ ン テ ン ツ 生 産 を 行 う よ う に な る
    も う一 つ は こ う し た 静 止 画 に す る 欲 望 か ら,よ り 洗 練 さ れ た 映 像を 編 集 す る と い う 行 為 へ と つ な が る

    ア ニ メ を コ マ 送 り し て自 分 だ け の 見 方 を す る だ け で な く, 自 分 だ け の 見 方 を 元 に コン テ ン ツ を 作 る こ と が で き る よ う に な る。重要 な の は こ の" 制作 者 と 消 費 者 の 距 離 感 の 変 化 」 と 「 自 分 だ け の 消 費 」 と い う二 つ の 傾 向 と い う の が 互 い に 異 な る 方 向 で は な く セ ッ ト に なっ て 発 展 を し て い っ た こ と で あ る
  6. マーケティングされる「共同性」
    間に入れる一瞬の映像を見るリテラシーを前提とした仕掛けがなされることによって,消費者の側に新たに二つの方向の欲望が形成される
    一つは制作者の作家性を監督だけでなく,アニメーターなどの各制作者の単位で映像を読み取っていく欲望である
    もう一つは,映像作品としてのアニメーショ ン を 一 つ の シ ー ン の ピ ッ ク ア ッ プ と し て 読 み 取 っ て い く よう な 欲 望 で あ る
    シ ー ン を と り あ げ る 記 述 が ア ニ メ 雑 誌 で 特集 さ れ る こ と に な り," 一 話" よ り 小 さ い 単 位 で の 作 品 の 消費 へ の 欲 望 が 形 成 さ れ る
  7. 「私だけのコンテンツ」を共有する
    編集という消費実践においては,"私だけのコンテンツ"を作るという欲望が形成されると同時に,そのコンテンツを理解できる友人に"見せる"欲望も作られてきている。その二つの欲望がセットになり,外部から見たときには高文脈で閉じたものに見えるようなコミュニケーションが編成されていった
    しかし,同時にこうした"閉じ"が作られたこと自体が,ある時代の技術的な条件の中における生産者-消費者の相互関係的な営みの中で形成されたものであった
  8. 結論
    本稿では,卓越性/共同性という形で二項対立的に議論されがちな議論に対して,その相互のダイナミクスの中から"共同性のための独自性"という形でコンテンツ消費の意味づけがなされるようになったことを議論した

    本 稿 で は,ア ニ メ フ ァ ン が 内 部 の コ ン テ ン ツ 消 費 の 文 化 を成 立 さ せ 高 文 脈 化 さ せ て い き,オ タ ク 文 化 と 呼 ば れ る よ う な独 自 の 文 化 を め ぐ る 言 説 を 堆 積 さ せ る 過 程 に 関 し て,ビ デ オと い う テ ク ノ ロ ジ ー を 軸 に 議 論 し た。
    し か し 、 そ の 高 文 脈 化が な ぜ 社 会 的 に 着 目 を 集 め る よ う に な っ た の か と い う こ と は本 稿 の 課 題 か ら 明 ら か に す る こ と は で き な い 。
    今 後 は こ こ での 知 見 を 踏 ま え て 、 議 論 を 展 開 す る 必 要 が あ る

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以錄影帶科技為主軸討論,オタク文化的消費文化

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該篇以雜誌中對於錄影帶的討論為基礎,探究80年代的オタク如何形成一個社群,相互分享錄影機的使用、對影片的分析、以及分享自己創作的影片。這樣的科技與社群,不僅拉近了他們對製作者的距離,也提升他們進行二創的基底。

2020年10月8日 星期四

〈「おたく」誕生―「漫画ブリッコ」の言説力学を中心に-山中智省〉

  1. 前言
    起源は一九八三年マイナーロリコン漫画誌に中森明夫「おたく』の研究」と 題されたコラムが掲載された
    本研究ではこの点宏明らかにするために、前述した課題を踏まえたよで、「漫画ブリツコ」及び関係資料を網羅的に扱った調交と実証的な分析を行っていく
  2. 中森明夫「『おたく』の研究」
    このコラムは「漫密ブリツコ」一九八三年六月号~八月号、一二月号の「東京おとなクラブJr.」と いうコーナーで全四回にわたり連載された。このコーナーは、中森が編集人を務めていたミニコミ誌「東京おとなクラブ」の出張版として作られていた。全四回の連載の内、中森が執筆したものは六月号から八月号の計三回である。
    1. 第一回となる六月号の「『おたく』の研究
      街には叫おたく』がいっぱい」では、まず、コミケットに集まる「十代の中高生を中心とする少年少女」の特徴を挙げている。
      1. アニメ映画の公開前日に並んで待つ奴
      2. ブルートレインを御自慢のカメラに収めようと線路で轢き殺されそうになる奴
      3. 本棚にビシーッとSFマガジンのパックナンバーと早川の金背銀背のSFシリーズが並んでる奴
      4. そして、このような「マニア」「熱狂的ファン」「ネクラ族」と呼ばれていた「人々を、あるいはこういった現象総体そ統合する的確な呼び名」として「おたく」を提唱するのである。
    2. 七月号の「『おたく』の研究,『おたく』も人並みに恋をする?では「おたく」の由来を確認しつつ、その性癖や行動を分析している。
      1. 「おたく」が「男性的能力が欠如しているせいか妙におカマっぽい」例として、2O歳を越えた男性の奇妙な行動( 両ひざそろえ L字曲げびょんハネ など)を挙げ、「だいたいこんな奴らに女なんか出来るわけないよな」としている
    3. 八月号の「おたく地帯にまよいこんだで」では、初めに「おたく」という言葉が随分定義したとして、かぎ括弧を外そうと提案している。
      その具体例として、「おたく」の溜まり場である新宿三丁目のフリースぺス(本屋)へガールフレンド(高二のユミ)を連れて行った持の体験を語っている。
    4. このような中森の認識について、高涼英理は「中森的認識による「八 0年代若者文化」には表と裏がはっきりして」おり、
      「表が「トレンド」「ブランド」等に代表される「オシヤレ」(正しくは「オツシヤレー」)文化であるとするならば
      裏にはアニメと「コミケ」(コミックマーケットの略。マンガ同人誌販売が主)に代表されるような「オタク」文化があり、徹底的に前者が望まれ理想的と考えられるとともに後者が軽蔑されていた」と述べている
      中森は自らの反部教師として、なおかつ自己を規定する試みとして「おたく」を提唱したと考えられるのである。
  3. 差別用語として認識された「おたく」
    中森の連載の打ち切りゃ読者投稿の選別などを見るに、単なる読者擁護にとどまらず、「おたく」を差別用語として摘発しようとする編集部の力が見え隠れしている
  4. 「おたく」をめぐる大塚英志の編集戦略
    「漫画ブリツコ」一九四五年五月号までは、大塚ともう一人の編集者による二人体制で編集が行われていたことになる。
    1. 疑問
      なぜ緒方は中森の「おたくの研究」を掲載しておきながら一一一回で打ち切り、読者投稿欄で批判を述べなければならなかったのか。
      二人体制の編集の中で大きな権限を持っていたのは大塚であったことが分かる。その権限の大きさは、中森からすれば「強い圧力」と映るほど、明確なものであったと思われる。
    2. 緒方の担当であった「新宿マイナークラブ」とは別に、大塚が担当する「妥協通信」という読者投稿欄が創設されたのである。
    3. 一九八四年六月号の「妥協通信」において、中森の連載打ち切りについての説明は行われたのである
      「おたく」は差別用語であり価値観を認め合わなければ健全な批判はできない、とする主張を読者に認識させるべく、大塚は自らの「カ」を行使しているのである。
    4. 続く七月号と八月号の「妥協通信」(八月号では改名され「妥協ポスト」)には、やはり大塚の主張に対する読者の反応が掲載された。
    5. 大塚がこれほど「おたく」にこだわった理由としては、まず読者の擁護が考えられる。
      「おたく」と「新人類」の両方を市場として抱え込むという矛盾を隱蔽するため
      もう一つの理由として考えられるのは、「おたく」の研究」の非生産性が、大塚の編集者としてのポリシーに反したことである
  5. 自虐する「おたく」の登場と編集部の啓蒙活動
    「漫画ブリツコ」の編集部が危倶していたのは、読者が自らを「おたく」と規定するこどで必要以上の自己卑下を行い、「どうせおたくだから・:」というネガティブな思考にとらわれてしまうことであろう。編集部はそれを解消するために、「おたく」を「自意識のレベルの問題」として処理し、読者の自を竹熊のようなポジティブな態度を取るよう啓蒙しようとしたのではないかと考えられる。特に、「おたく」を差別用語として捉えた大塚にとっては、それを無批判に受け入れる読者の態度は無視できなかったであろう。
    大塚が読者に求めたのは、「おたく」という言葉にとらわれず、開放的な思考を持って成長しようとする態度である。その意味で、こうした編集部の啓蒙活動の裏にも、「おたく」議論の時と同じく大塚の思惑が働いている可能性は高いと思われるる
  6. おわりに

 覺得這篇文章想要討論什麼?
討論おたく剛出現在漫画ブリッコ雜誌上,那段時間的作者、編輯部、讀者之間的回應

我覺得這篇文章有哪些重點?或是我的心得?
總之就是中森歧視おたく,然後編輯大塚出來滅火,說おたく是歧視用語,然後有的讀者拿來嘲諷自己,編輯再度出來叫大家想開點,大概這樣

2020年10月3日 星期六

〈顛覆史學與權力之眼: 傅柯的《知識考古學》及《規訓與懲罰》-楊宇勛〉

  1. 前言
    本文探究傅柯對歷史學的觀點 ,以《考古學 》與 《規訓 》二書為主 ,再旁及他書 。
    1. 傅柯的思想歷程可約略分為三個時期
      1. 六○年代 ,他憑藉 著醫學知識的訓練 ,致力於闡釋 「精神失常 」 ,質疑理性主義 ,.《古典時代瘋 狂史 》(以下簡稱 《瘋狂史 》)為其成名作 。
        在 《事物的秩序 》(以下簡稱 《秩 序 》)及 《知識考古學 》(以下簡稱 《考古學 》)二書之中 ,研究領域主要擴及話 語論述 、知識形構 、歷史三個範疇 ,並採用知識斷層學方法 ,仍未徹底否定秩序化/系統化論述的存在 ,對於西方近代以來居正統地位的啟蒙思想進行了猛烈 的批判 ,聲稱消滅了 「主體 」 。
      2. 七○年代 ,他改採尼采式的系譜學方法 ,強調 權力意志與身體的關係 ,以《規訓與懲罰 :監獄的誕生 》似下簡稱(規訓》)及 《性 史》二書為其代表作品
      3. 八○年代 ,傅柯思想焦點轉向 「自我倫理學 」 ,不再 全盤否定啟蒙思想的貢獻 ,此時以 《性史》為其代表作品 。傅柯學術的終極關 懷在於解構理性時代以來的資本主義功能化價值體系 ,其著作大多圍繞著此一 課題 ,其作品充滿了強烈的顛覆與戰鬥意味
  2. 知識斷層學
    1. 《瘋狂史》
      綜觀是書 ,傅柯由瘋癲的定義下手 ,找出各個時代知識論的論述形構 。依 此 ,傅柯發現瘋癲的定義與世人對瘋癲的處置 ,因社會型態 、文化模式 ,甚至 經濟結構的不同而有所差異 。 《瘋狂史》不僅顛覆了理性主義的意識形態 ,質 疑真理的存在 ,他以近四百年的歷史作為時空研究的範圍 ,分為幾個不連貫 (disc° ntinuity)的 時期 。該書已隱含 日後傅柯所要處理課題的先聲 ,如知識斷層 學與系譜學方法論的萌芽 、話語論述的曖昧性/時代性停 秩序性ˊ歧義性′多元性 的認知模式 、知識體系′權力意志′身體的互動關係 ,並且質疑批判資產階級社 會的功利價值觀之宰制性


    2. 所謂的 「知識斷層學 」 ,強調歷史和 「知識形構 」斷裂的′不連續的 特性 ,正如每個歷史檔案之間並無直接的關聯性 。
      以下本文分為三點來談論傅 柯的知識斷層學與系譜學 :
    3. 知識斷層學與系譜學
      其用意在於揭發知識形構在歷史上的真實面 目 ,他認為歷史的演變應該是斷層 的停├一貫的/突變的/相異的 ,故應注意歷史的罅隙切口與矛盾觀念 ,他並且強 調 「歷史是基於時間的差異 ,我們的自我是基於標誌的不同 。」有 了時間差異才有歷史的出現 ,有了己異之別才能意識到自我 。
      由聲明到論述 ,「話語形構有許多衝突的空間 、不同的對立關係 ,這些關係的層 次和角色都必須被描寫 。」此正是傅柯所要強調傳統史學忽略了 「空間 面向」的 研究 ,過份高估了 「時間面向」的延續性 。透過衝突的/對立 的ˊ矛盾的論述,才 容易發覺歷史的真象 ,傅柯試圖為歷史研究打開 一條新路 ,當今的史學趨勢也似乎在彌補這個極大的空隙
      1. 系譜學
        1975年的 《規訓》一書 ,轉而提倡系譜學 ,並抬出尼采的 「權力意志 」出 來 ,從知識ˊ權力′空間三者與身體的互動 ,看出 「知識意 志 」和 「權力意志 」在歷史的演變 。系譜學並非是要取代知 識斷層學 ,而是要補強其靜態的ˊ斷裂的′橫向的偏失 ,並以權力′知識作為其理 論分析的迴歸基點 ,將零散於四處的聲明與論述 ,匯集於權力′知識概念之下 , 權力/知識好比是樹幹或樹根 ,人事現象好比是分散出來的樹枝
    4. 時間與空間
      傅柯既以當下作為研究的參考基點 ,傳統史學順時性敘述的書寫方式遭到 他的顛覆 ,《臨床醫學 》便採取這種不按編年順序 ,依循著知識形構論述的發 展而下筆 ,甚至古今夾雜 。傅柯過度強調共時性與橫斷面,必 然忽 略歷時性與縱貫面的的 分析 ,歷史學的特質因而不見 。傳統史學的 論述固然有所瑕疵 ,然而傅柯全面以共時性取代歷時性的論述也是極為不妥 的 。傅柯將時 間凍結起來 ,作為共時性結構研究的基石 ,以整體 史觀來重建一個時代的風貌 ,自有其視野的盲點
    5. 知識形構與典範
      傅柯的 「知識形構 」神似於庫恩的 「典範 」 ,梅奎爾認為兩人均強調知識形構有斷層的現象 ,
      其差異在於傅柯所 論知識領域較為廣泛 ,庫恩則僅著墨於科學史
      傅柯認為知識形構係有意識建 構的 ,庫恩則說典範建構於無意識的深層底下
      傅柯認為不同的知識形構之間 絕非連續性的發展 ,庫恩則說典範更替之際 ,新舊夾雜而同時競爭 ;新的典範 逐漸取代舊 的典範
  3. 權力/知識/空間
    1. 權力與監視
      權力/知識的行使與人身控制的關係 ,是傅柯在該書的關注焦點所在 。
      由於 現代社會的懲罰權力屬於整個社會 ,監獄與教養所的出現代表懲罰權力的制度 化 ,透過封閉的空間來訓育人犯 ,同時也可以 「殺雞儆猴 」 ,反覆灌輸符碼 , 以教化開放空間的公民們 。監獄是社會的鏡子 ,也是圍牆 ,區隔 「不正常的 」 罪犯與 「正常的 」公民的界限
      學校 、醫院 、精神療養院 、工廠 、軍營等場域相繼採行 「全景敞視空間 」 ,強 化了權力與空間的關係 。法學家 、教育學家 、心理學家和醫生等人 ,具備專業 知識訓練背景的監視人員 ,知識強化了權力的合法性 ,權力′知識/空間三者合一
    2. 主體被客體化
      現代社會 的人身懲罰與監 獄是制度一種 「權力技術學 」 、 「權力經濟學 」 ,人身被客體化 、對象化 ,肉 體和靈魂都屬於社會共 同體所支配 。 「全景敞視主義 」的權力運作模式強化 了 支配他人的正當性 ,身體的奴役和心靈的禁錮有合法性的根據 。懲罰與監視的 機制被內在化 ,每個都成為 自己和他人的監視對象 ,是主體也是客體 ,「權力 之眼 」取代 了 「上帝之手 」 。權力不單是統治者或國家機器所生產的 ,也不盡 然是 由上而下的 ,或是 由中心走 向邊緣的 .真正的權力運作是一種網絡 ,深植 隱藏於各角落的每個心靈 ,「權力經濟學 」以最小的代價獲得最大的效能
      傅柯著眼於人類異端與非理性的探討 ,主體雖不 死 ,卻依然是個受知識/權力′空間所控制的軀殼 。整個社會被形容成一所大監 獄 ,權力/知識網絡支配監視所有人的行動 ,人再度被 「對象化 」 、 「客體化 」 起來 。傅柯的虛無主義傾向雖非有意的 ,然而他的權力ˊ知識論卻無形矮化了思 想家 、科學家 ‵政治人物等人在歷史上的作用 ,最後連人的主體身份都喪失 了 ,只剩下權力網絡下的 「監視 」 。要知道 ,人兼具主體客體的雙重性 ,若光 是一味地強調客體性 ,只會糟蹋人性的尊嚴 ,輕忽人性內在的反省力
    3. 權力與反抗
      傅柯所說的權力並不單指政治上的統治力 ,而是指 「權力機制 」而言 。資 本主義社會下的權力機制運作不一定是由上而下的 ,而是一種相對性的互動關 係 ,由局部而匯聚成網絡 。具有懲罰與規訓權的 「權力機制 」 ,並不屬於任何 個人 、機構與國家 ,祂是獨立 自主連作而無處不在的 ,深植於每個人的心靈深 處 ,不可能被奪取或獨享的 。權力集中於國家機器或統治者只是表象而已 ,欲 以 革命或暴力的途徑而推翻之 ,是徒勞而無功的 。即令摧毀了部分的權力機 制 ,依然憾動不了深植於人心的權力網絡 ,整個社會無異是座大型的監獄之 城 。
  4. 顛覆史學與史學互動的雙重性
    傅柯把年鑑學派視為學術上的假想敵 , 該書的緒論曾嚴辭抨擊史學四點 :
    其一 ,新史學對歷史上的不連貫現象只是表 面注意到 ;
    其二 ,時間斷限及事件範圍的分類 ,僅用於資料的排比分析上 ,史 家利用不連貫分析方法 ,卻不承認其價值
    其三 ,講求時代特性的整體史觀之 不當
    其四 ,方法學上的問題 。
    簡而言之 ,年鑑學派對於歷史的不連 貫現象瞭解得不如他透徹 ,論述的意符′意指也不如他清楚 ,故方法學上不如他 所提出的知識斷層學 ,也反對布勞代爾的整體史觀

    傅柯偏向論述概念群的 研究 ,與歷史學的觀念史與 心態史相近 ,細究其關懷重心則頗為不一 。前者焦點在於當下 ,以陳述對象、模式、 概念群及主題選擇等 四個因子 ,來研究客 體論述概念群的構成規則,貶低主體發話者的身份 。如此一來 ,其研究對象都被客體化了 ,人失去了主體性 ,只有無機的論 述 ,有機的大腦 、舌頭 、聲帶則不見了 。後者則側重於過去與現在的對話 ,認 為人既是認知客體的主體 ,也是被研究的客體 ,重視發話者的身份地位與時空 背景 。 
    強行分割歷史與忽略史事的連貫性 ,重視變化′相異性,忽視 延續ˊ相容性 ,這是傅柯必須正視的問題
  5. 結語
    本文對傅柯有七點質疑 :
    1. 首先 ,對於現代理論與理性主義僅呈現片面的負面論述 ,傅柯未能指出其 積極的正面意義 。
    2. 其二 ,顛覆反抗權力′知識機制的鬥爭運動 ,未能釐清其中要 髓 ,以致悲觀重於樂觀
    3. 其三 ,傅柯的知識斷層學之斷裂 的′共時的′橫向的研究取徑 ,系譜學以權力/知識作為論述的主幹 ,進而追溯其 衍派 ,雖有值得借鏡之處 ,然偏於化約歷史 。
    4. 其四 ,在結構主義的大旗之下 , 強烈批判資本主義的功利取向 ,其理論也遭物化主義的流毒 ,人的主體性被客 體對象化 ,陷於尼采式的悲觀宿命論與虛無主義 。
    5. 其五 ,在知識形構之下 ,將 歷史材料工具化 ,強行分割歷史 ,強姦部分史實 。
    6. 其六 ,以西歐歷史經驗論述 現代社會 ,流於歐洲自我中心主義的異己二元論 。
    7. 其七 ,打倒權力/知識的宰制力 ,卻樹立起新的學術權威 。

覺得這篇文章想要討論什麼?
針對傅柯對史學的概念提出批評

我覺得這篇文章有哪些重點?或是我的心得?
我覺得批評挺切中要點的,不過我倒是覺得如果有更多史料來批評就更好,畢竟沒有實際的資料來當作基礎,就只淪為空洞的哲學論述而已了