2020年10月8日 星期四

〈「おたく」誕生―「漫画ブリッコ」の言説力学を中心に-山中智省〉

  1. 前言
    起源は一九八三年マイナーロリコン漫画誌に中森明夫「おたく』の研究」と 題されたコラムが掲載された
    本研究ではこの点宏明らかにするために、前述した課題を踏まえたよで、「漫画ブリツコ」及び関係資料を網羅的に扱った調交と実証的な分析を行っていく
  2. 中森明夫「『おたく』の研究」
    このコラムは「漫密ブリツコ」一九八三年六月号~八月号、一二月号の「東京おとなクラブJr.」と いうコーナーで全四回にわたり連載された。このコーナーは、中森が編集人を務めていたミニコミ誌「東京おとなクラブ」の出張版として作られていた。全四回の連載の内、中森が執筆したものは六月号から八月号の計三回である。
    1. 第一回となる六月号の「『おたく』の研究
      街には叫おたく』がいっぱい」では、まず、コミケットに集まる「十代の中高生を中心とする少年少女」の特徴を挙げている。
      1. アニメ映画の公開前日に並んで待つ奴
      2. ブルートレインを御自慢のカメラに収めようと線路で轢き殺されそうになる奴
      3. 本棚にビシーッとSFマガジンのパックナンバーと早川の金背銀背のSFシリーズが並んでる奴
      4. そして、このような「マニア」「熱狂的ファン」「ネクラ族」と呼ばれていた「人々を、あるいはこういった現象総体そ統合する的確な呼び名」として「おたく」を提唱するのである。
    2. 七月号の「『おたく』の研究,『おたく』も人並みに恋をする?では「おたく」の由来を確認しつつ、その性癖や行動を分析している。
      1. 「おたく」が「男性的能力が欠如しているせいか妙におカマっぽい」例として、2O歳を越えた男性の奇妙な行動( 両ひざそろえ L字曲げびょんハネ など)を挙げ、「だいたいこんな奴らに女なんか出来るわけないよな」としている
    3. 八月号の「おたく地帯にまよいこんだで」では、初めに「おたく」という言葉が随分定義したとして、かぎ括弧を外そうと提案している。
      その具体例として、「おたく」の溜まり場である新宿三丁目のフリースぺス(本屋)へガールフレンド(高二のユミ)を連れて行った持の体験を語っている。
    4. このような中森の認識について、高涼英理は「中森的認識による「八 0年代若者文化」には表と裏がはっきりして」おり、
      「表が「トレンド」「ブランド」等に代表される「オシヤレ」(正しくは「オツシヤレー」)文化であるとするならば
      裏にはアニメと「コミケ」(コミックマーケットの略。マンガ同人誌販売が主)に代表されるような「オタク」文化があり、徹底的に前者が望まれ理想的と考えられるとともに後者が軽蔑されていた」と述べている
      中森は自らの反部教師として、なおかつ自己を規定する試みとして「おたく」を提唱したと考えられるのである。
  3. 差別用語として認識された「おたく」
    中森の連載の打ち切りゃ読者投稿の選別などを見るに、単なる読者擁護にとどまらず、「おたく」を差別用語として摘発しようとする編集部の力が見え隠れしている
  4. 「おたく」をめぐる大塚英志の編集戦略
    「漫画ブリツコ」一九四五年五月号までは、大塚ともう一人の編集者による二人体制で編集が行われていたことになる。
    1. 疑問
      なぜ緒方は中森の「おたくの研究」を掲載しておきながら一一一回で打ち切り、読者投稿欄で批判を述べなければならなかったのか。
      二人体制の編集の中で大きな権限を持っていたのは大塚であったことが分かる。その権限の大きさは、中森からすれば「強い圧力」と映るほど、明確なものであったと思われる。
    2. 緒方の担当であった「新宿マイナークラブ」とは別に、大塚が担当する「妥協通信」という読者投稿欄が創設されたのである。
    3. 一九八四年六月号の「妥協通信」において、中森の連載打ち切りについての説明は行われたのである
      「おたく」は差別用語であり価値観を認め合わなければ健全な批判はできない、とする主張を読者に認識させるべく、大塚は自らの「カ」を行使しているのである。
    4. 続く七月号と八月号の「妥協通信」(八月号では改名され「妥協ポスト」)には、やはり大塚の主張に対する読者の反応が掲載された。
    5. 大塚がこれほど「おたく」にこだわった理由としては、まず読者の擁護が考えられる。
      「おたく」と「新人類」の両方を市場として抱え込むという矛盾を隱蔽するため
      もう一つの理由として考えられるのは、「おたく」の研究」の非生産性が、大塚の編集者としてのポリシーに反したことである
  5. 自虐する「おたく」の登場と編集部の啓蒙活動
    「漫画ブリツコ」の編集部が危倶していたのは、読者が自らを「おたく」と規定するこどで必要以上の自己卑下を行い、「どうせおたくだから・:」というネガティブな思考にとらわれてしまうことであろう。編集部はそれを解消するために、「おたく」を「自意識のレベルの問題」として処理し、読者の自を竹熊のようなポジティブな態度を取るよう啓蒙しようとしたのではないかと考えられる。特に、「おたく」を差別用語として捉えた大塚にとっては、それを無批判に受け入れる読者の態度は無視できなかったであろう。
    大塚が読者に求めたのは、「おたく」という言葉にとらわれず、開放的な思考を持って成長しようとする態度である。その意味で、こうした編集部の啓蒙活動の裏にも、「おたく」議論の時と同じく大塚の思惑が働いている可能性は高いと思われるる
  6. おわりに

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討論おたく剛出現在漫画ブリッコ雜誌上,那段時間的作者、編輯部、讀者之間的回應

我覺得這篇文章有哪些重點?或是我的心得?
總之就是中森歧視おたく,然後編輯大塚出來滅火,說おたく是歧視用語,然後有的讀者拿來嘲諷自己,編輯再度出來叫大家想開點,大概這樣

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