- はじめに
本稿の目的は,オタクと呼ばれる文化集団のコンテンツをめぐる消費文化が,どのように独自とされる領域として形成されたのかを明らかにすることである - ここではオタク文化の独自性として,アニメファンのコンテンツ消費の高文脈性の成立に着目する
それをビデオというテクノロジーが可能にした「テレビの能動的視聴」という観点から三つの段階として考える - 第一に従来のアニメ視聴者とは区別されるビデオという技術が可能にした能動的な視聴を志向した集団の成立である
- 第二に能動的な消費をしていることがマーケティングする側に予期されることである
- 第三に通常のアニメファンとは違った集団がいると認識されていることを,新たな消費を行う側が認識し,さらに新たな消費様式を作ることである
- 先行研究・分析視角
- ファン研究
本 稿 が オ タク と い う 文 化 集 団 を 議 論 す る と き に 意 識 す る の は、 そ の 内 とぐ る 文 化 が 形 成 さ れ て い く ま で に 、 ど の よ う な 相 互 行 為 が なさ れ 、 ど の よ う な 意 味 づ け が さ れ た か で あ る - オタクのコミュニケーション志向性に関する研究
本 稿 は 、 オ タ ク 独 自 の 消 費 文 化 の 形成 の 様 子 と そ の 形 成 に 際 し て コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン が 独 自 の 要請 の さ れ 方 を し た こ と に 関 し て 、 歴 史 社 会 学 的 に 明 ら か に する
こうした内部でのコミュニケーションと消費の結び付けられる形成過程を見ることで,外部からの三次元の語られ方につながる端緒を明らかにする - オタクの語られ方に関する研究
新たなテクノロジーを再解釈する中で,どのように言説メディア上に記述された人々の日常的実践の技法が,コンテンツ消費をめぐる文化という形で表れたのかに着目する - 分析対象
七〇年代後半から,アニメ雑誌が雑誌の一つのジャンルとして成立する
本 稿 の 分 析 対 象 は 、 一 九 七 八 年 に 創 刊 し ,八 〇 年 代 を 通 して 売 り あ げ 部 数 に お い て 最 大 部 数 を 記 録 し 続 け た『 ア ニ メ ージ ュ 』 創 刊 号 か ら 九 二 年 一 月 号 ま で と,八 四 年 に 『 ア ニ メ ディ ア 』 の 増 刊 と し て 発 売 さ れ 、そ れ か ら 季 刊 と な り 最 終 的 には 月 刊 誌 に な っ た 『 ア ニ メ V 』 の 五 年 分 で あ る
投 稿 欄 に は 感 想 だ け で は な く ビ デ オ の 使用 実 践 に つ い て 書 か れ て い る 他 、 通 常 の 媒 体 に 比 べ て 、 ビ デオ の 使 用 法 等 に 関 し て 紹 介 す る 頁 が 多 く 設 け ら れ て い る - ビデオの普及環境に関して
ビ デ オ デッ キ は 、 八 〇 年 代 に 爆 発 的 に 普 及 し 5 た 。 そ の ビ デ オ デ ッ キ が普 及 し き っ て い な い 過 渡 期 な ら で は の 消 費 を 考 え る こ と が 重要 で あ る
ビデオに関して共同体的な消費形態があることを前提としたうえでの消費状況について考えなくてはならない - アニメ雑誌では"アニメージュ"ビデオの普及率が低い段階から,テレビを録画する欲望が見られた.その欲望を満たすため,アニメをカセットテープで音声だけでも録音したり,テレビの再放送をカメラで写真にとったりするなどの消費がみられた
また,何も録画されていない"生テープ"自体が高価であったことを条件として鑑みることが重要である
ビデオテープ(あるいはテレビを録音したカセットテープ)の貸し借りや交換などの募集が,投稿欄上でなされ,その中から徐々に集団意識を立ち上げていった - コマ送りが可能とする視聴実践
この"素敵な絵を発見する"欲望は必然的に二つの帰結を導く
一つはビデオをめぐる消費者と制作者の距離感を変えていくことである。ここで行われたような消費の傾向を制作者 の 側 が 予 期 し て 、コ ン テ ン ツ 生 産 を 行 う よ う に な る
も う一 つ は こ う し た 静 止 画 に す る 欲 望 か ら,よ り 洗 練 さ れ た 映 像を 編 集 す る と い う 行 為 へ と つ な が る
ア ニ メ を コ マ 送 り し て自 分 だ け の 見 方 を す る だ け で な く, 自 分 だ け の 見 方 を 元 に コン テ ン ツ を 作 る こ と が で き る よ う に な る。重要 な の は こ の" 制作 者 と 消 費 者 の 距 離 感 の 変 化 」 と 「 自 分 だ け の 消 費 」 と い う二 つ の 傾 向 と い う の が 互 い に 異 な る 方 向 で は な く セ ッ ト に なっ て 発 展 を し て い っ た こ と で あ る - マーケティングされる「共同性」
間に入れる一瞬の映像を見るリテラシーを前提とした仕掛けがなされることによって,消費者の側に新たに二つの方向の欲望が形成される
一つは制作者の作家性を監督だけでなく,アニメーターなどの各制作者の単位で映像を読み取っていく欲望である
もう一つは,映像作品としてのアニメーショ ン を 一 つ の シ ー ン の ピ ッ ク ア ッ プ と し て 読 み 取 っ て い く よう な 欲 望 で あ る
シ ー ン を と り あ げ る 記 述 が ア ニ メ 雑 誌 で 特集 さ れ る こ と に な り," 一 話" よ り 小 さ い 単 位 で の 作 品 の 消費 へ の 欲 望 が 形 成 さ れ る - 「私だけのコンテンツ」を共有する
編集という消費実践においては,"私だけのコンテンツ"を作るという欲望が形成されると同時に,そのコンテンツを理解できる友人に"見せる"欲望も作られてきている。その二つの欲望がセットになり,外部から見たときには高文脈で閉じたものに見えるようなコミュニケーションが編成されていった
しかし,同時にこうした"閉じ"が作られたこと自体が,ある時代の技術的な条件の中における生産者-消費者の相互関係的な営みの中で形成されたものであった - 結論
本稿では,卓越性/共同性という形で二項対立的に議論されがちな議論に対して,その相互のダイナミクスの中から"共同性のための独自性"という形でコンテンツ消費の意味づけがなされるようになったことを議論した
本 稿 で は,ア ニ メ フ ァ ン が 内 部 の コ ン テ ン ツ 消 費 の 文 化 を成 立 さ せ 高 文 脈 化 さ せ て い き,オ タ ク 文 化 と 呼 ば れ る よ う な独 自 の 文 化 を め ぐ る 言 説 を 堆 積 さ せ る 過 程 に 関 し て,ビ デ オと い う テ ク ノ ロ ジ ー を 軸 に 議 論 し た。
し か し 、 そ の 高 文 脈 化が な ぜ 社 会 的 に 着 目 を 集 め る よ う に な っ た の か と い う こ と は本 稿 の 課 題 か ら 明 ら か に す る こ と は で き な い 。
今 後 は こ こ での 知 見 を 踏 ま え て 、 議 論 を 展 開 す る 必 要 が あ る
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以錄影帶科技為主軸討論,オタク文化的消費文化
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該篇以雜誌中對於錄影帶的討論為基礎,探究80年代的オタク如何形成一個社群,相互分享錄影機的使用、對影片的分析、以及分享自己創作的影片。這樣的科技與社群,不僅拉近了他們對製作者的距離,也提升他們進行二創的基底。
該篇以雜誌中對於錄影帶的討論為基礎,探究80年代的オタク如何形成一個社群,相互分享錄影機的使用、對影片的分析、以及分享自己創作的影片。這樣的科技與社群,不僅拉近了他們對製作者的距離,也提升他們進行二創的基底。
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